JINSEI STORIES
リサイクル日記「お人よしは馬鹿なのか?」 Posted on 2022/06/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、お人よしだな、と自戒することがよくある。
お人よしでもいいのだけど、人に利用されたり騙されたりするのはよくない。
もちろん、人を利用したり騙したりするのはもっとよくない。
そもそも、お人よしって、いい言葉なんだろうか? 「あの人はお人よしだからなぁ」というのは、むしろその反対の意味で使われることが多いように思う。
じゃあ、お人よしってどんな人なのかと言えば、物事を額面通りに素直に受け止めてしかもいい方に解釈して行動をしてしまう人ってことで、間違いなく他人に利用されたり、騙されたりするタイプの人間。
ここだけの話だが、僕は子供の頃、かなりお人よしだった。
函館で過ごした時代、僕は使われていない倉庫をスタジオみたいに改造して一人で住んでいた、ある日、男がやって来て、レコードを貸してくれ、と言った。
なんで? と訊ねると「お前はお人よしだからレコードをすぐに貸して、返せと催促もしない」と言われた。
また別の日、ある男がやって来て「ここに来るとカツ丼を食べさせてくれると聞いた」というのだ。
確かに、友達だと思っていた連中にレコード盤を大量に貸して返してもらっていなかったし、そいつらにカツ丼の出前を頼んで食わせたことがあった。
彼らはそれ以降、「辻はお人よしだからあそこに行けばレコードはくれるし、カツ丼は食わせてもらえる」と言いふらしたに違いない。
つまり、僕はお人よしというより、阿呆だったという話である。
ここまで馬鹿なお人よしは滅多にいないだろう。
息子は「パパはすぐに人を信じるものね。パパの一言目は、こいついいやつだ、だけど、会って30分でどうしてわかるの?」と言われたことがある。
大人になってもずっとお人よしということなのだ。
つまり、お人よしというのはすぐに人を信じてしまう人間のことを指す。
疑う前に信じることのどこが悪いんだ、と反論をしたがる人がいたら、お人よし決定。
息子曰く「人を信じることは大事だと思うけど、信じるのには長い段階があるんだよ。パパみたいに第一印象で全てを決めるのは危険だ」ということだった。
「でも、最初から疑って会いたくないだろ。人を信じて話した方が楽しいじゃんか、俺の勝手だ」と反論をすると、息子は鼻で笑った。
「信じた人に裏切られるのなら仕方ないと思っている」と僕は息子に負け惜しみのようなことを言った。
でも、人生を振り返り、思い当たることばかりなので、ふて寝をすることになる。
お人よしの反意語は意地悪と辞書に書いてあったが、違うな。
狡猾な人間、ということになるのじゃないか。
人に利用されたり、騙されたりする側も悪いということか。
お人よしが多いから、狡猾な奴が増えるのか。
お人よしがいなくなれば犯罪が減るのかもしれない。
騙される隙が相手を泥棒にさせてしまう。
そういう責任も多少あるのじゃないか。
世の中からお人よしがいなくなれば、詐欺師は絶滅するということだろう。
お人よしは罪ということになる。
だから、最近の僕はようやくお人よしを捨てることが出来た。
会う人会う人、疑っている。こいつは俺からレコードを盗む気だな、カツ丼を奢らせる気だな、と警戒心を持って生きるようになった。
ということで、最近の辻仁成は冷徹な人間なのである。
先日、韓国の映画会社が中心となって中国やアジアの映画会社などと組んで全世界向けにとあるぼくの作品(小説)を映画化したいという連絡があった。
それで、会うことになった。
いい人そうに見えた。
ところが、息子が耳元に現れ、話が良過ぎる、お人よしになるな、と警告してきた。
けれどもどう見てもいい人にしか見えない。
嘘つきには見えない、品のあるいい顔をしている。
必ず大ヒットさせてみせるとその人は豪語したが、僕はお人よしにはならないと決めていたので「言葉は信じない」と一応、彼の熱意を遮った。
「僕は何度か映画会社に結果として騙されたことがあるので、契約はすぐには出来ない」と正直に過去の事例を伝えた。
するとその人は微笑み「あなたは正しい。言葉だけじゃ結論は出せない。その通りです」と言い出した。
「でもしっかりと話をして自分の誠意を伝えたい」と付け足した。
やっぱり、良さそうな人に見えた。
騙す人はだいたい目つきでわかる。
すると幻の息子が耳元にまたしても現れ、パパはすぐに人を信じる。
今日のところは返事をしないで、第三者を通して話した方がいいよ、と忠告してきた。
それはその通りだと思ったので僕は「あなたの会社は大きいのか?」と質問したら即座に「めっちゃ小さい」と言った。
「小さいけど、やる気と意欲はでっかい」と言った。
「あなたの小説が好きだ。どうしても映画化したい」と熱意を語った。
やっぱりいい人そうだった。すると息子が現れ、カツ丼を思い出せ、と言った。
「今すぐ契約をしちゃだめだ、一度持って帰るんだ」と耳元で繰り返し言うのだった。
「パパ、パパはパパのままでいいけど、人を信じてもいいけど、その人が本当にいい人でも結果約束を守れないこともある。約束を守らない人は結果いい人とは言えないなんじゃないか。絶対に成功してみせるから僕を信じてと言って前にも同じ結果あったじゃない。その人たちはその後パパに謝罪をした? その言葉を信じたパパに責任もあるんだ。だから、ちゃんとスタッフの人に任せて、今日は握手だけして帰りなさい」と最後通告を叩きつけてきたのである。
そこで僕は「今日はここまでにしましょう。あなたとお会いできて大変うれしかった。頑張ってください」と言って僕は颯爽と立ち上がり、ぎゅっと握手をしたのだった。
息子が耳元で、よくやった、それでよし、と呟いた。
初投稿、2019年4月
追記、この作品は結局、契約が結ばれたが、コロナのせいで一度立ち消えてしまった。しかし、この男はふたたび現れ、もう一度契約してほしい、と迫ってきた。その熱意と誠意にお人よしは動かされ、現在進行形の話のまま、推移している。笑。
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