JINSEI STORIES
滞仏日記「イクメンやカジダンになれない僕を癒すもの」 Posted on 2019/03/30 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、日経新聞の短期連載「カジダンへの道」の記事を書き終えて、思った。家事をやる男子のことをカジダン(家事男)というらしい、イクメンは育児をするメンズでこちらの名付け親は厚生労働省だとか。カジダンとかイクメンとか可愛い名称を付けないと男の人は家のことをやらないのか、やりたい人もいるに違いないから、そういう人たちが率先して家事育児に参加しやすい環境を作ろうということで生まれた呼称かもしれない。お父さんがもっと家のことに参加すればお母さんも楽になるし、子供とのコミュニケーションだって増えるわけだから、悪いことじゃない。でも、僕のようなひねくれ者はカジダンとかイクメンと呼ばれること自体に抵抗を覚える。僕の場合は積極的に腰を上げたわけでもなく、仕方なく家事も子育てもやっているようなところがあり、週末になると、最近は決まって、育児放棄、家事放棄の常習犯となっている。カジダンですね、イクメンですね、とおだてられても何も出てきません。正直僕には重たいだけである。
週末になると身体が動かなくなり、家事をほったらかすことが多くなった。だから週末には客人を招くことが出来ない。キッチンも仕事場も子供部屋も凄いことになっている。洗濯かごは溢れているし、ごみは積んであるし、部屋の隅には綿埃も舞ってるし、やれやれ。でも、僕は料理好きだし、子供も好きなので家事育児をすること自体は嫌じゃないけど、さすがに目に見えない疲れが溜まり始めている。この疲れが尋常じゃないので、今年に入ってから週に一度チリ人のお手伝いさんをついに雇ってしまった。カジダンとかイクメンですね、と言われる度に何か下腹に不愉快な気持ちが生じる。心のどこかで「そういう呼び方やめてほしい」と思う自分もいる。でも、日経新聞の意図はよくわかる。良識のある啓蒙運動のために、夫たちも家事や育児をしたくなるような文章を書くのは作家の仕事である。それは綺麗事じゃなくて、自分の心がけや家族に対する愛のカタチについてだから、嘘はないし、家事や育児をやることは欧州では男の仕事だし、問題ないのだけど、カジダン、イクメンのような軽い名称で十把一絡げにされると、僕のようなロック体質の人間には、ざらりとした異物感が残る。なりたくてなったカジダンとならざるをえなかったイクメンとじゃ、実はちょっと意味が違うのだ。だから、週末になると、僕は家事を放棄するし、息子をほったらかして飲みに出るようになった。(自分一人で飲むようになったのは59歳からで、それまでは家飲みが好きだった)プチ家出もたまにする。半日で戻る家出なので、プチ逃亡とも呼んでいる。一方で、夜中、近所を走りながら、一緒にするな、と闇に向かって叫んでいるダメな父親の姿も間違いなく僕のもう一つの姿なのである。「何で僕一人で全部やらないとならないんだ、僕だって生きてるんだ」という愚痴がここぞとばかり飛び出してくる。相当にストレスが溜まっているけど、その顔を僕は昼間隠している。
家事や育児への疲れを癒すために僕は毎日気が済むまで走っている。運動をすることでストレスを発散させようと考えた。一人になれるし、家を出ることが出来て、身体と心のバランスを保つのにちょうどいい。だから、僕は物凄い速度でパリ市内を走り抜ける。
家を出て、30分くらいした時だろうか、正面前方の見慣れない路地の先の、街路樹の下から小動物が駆け抜けた。最初はネズミだろうと思った。パリは人間の数よりもネズミの方が多い。しかし、その走り方がネズミのそれではなく、気になったので走るのをやめてベンチに寝転がって、その小動物を待った。ずいぶんと遠くまで来たので、息が上がって苦しい。小動物の消えた車の下あたりを見つめていると、ドブネズミくらいの大きさの小動物が再び道の中ほどまでちょろちょろと出てきた。いや、ネズミじゃない。やっぱり耳がある。ウサギだ。パリの左岸のど真ん中にうさぎが出現。二匹いて、こんな深夜に、周囲を警戒しながら餌を探している。マロニエの実が転がっているのだろうか。ヘッドライトが周囲を照らすと彼らはサッと車の下へと逃げこむ。暫くすると、ぴょこぴょこっとあのウサギ特有の歩き方で、出てくる。なんて可愛らしいのだ! 白色じゃなく、グレー色のウサギ。パリのど真ん中に野性のウサギがいるだなんて、僕は慌てて携帯を取り出し、撮影をした。暗いし、遠いので、うまく撮れなかったが、立っている耳がはっきりとそれだと分かった。誰もいないパリの深夜、そこには僕とウサギだけがいた。暫くの間、彼らを眺めて過ごしていると、僕の中で悶々としていた家事疲れ育児疲れは雲散していった。君たちも生きなきゃならないんだものな、僕と一緒じゃんか。この星のこんな場所で君たちに会えてうれしかったよ。帰り道、僕の身体は幾分軽やかになっていた。僕が抱える家事育児ストレスなんて、たかがそのレベルのものなのだろう。よし、もうちょっと遠くまで走ってから、家に帰ることにしよう。