JINSEI STORIES
滞仏日記「なぜ、フランス人はデモ好きなのか?」 Posted on 2019/03/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリはこの週末、大暴動の嵐が吹き荒れた。金曜日には中高生たちによる気候変動に抗議する大規模なデモが、土曜日は黄色いベスト運動のデモが2日続けて行われた。気候変動に対する中高生のデモはパリだけで3~4万人程度が集結したらしい。(全世界では日本も含め123か国が参加。東京では130人という記事を見つけた。パリは東京の4分の1程度の大きさなので、その盛り上がり具合がよくわかる)息子の学校は私立だから校長先生自らがメールで全生徒に参加しないよう強く引き締め工作に出た。そのせいで彼のクラスからは女の子が一人参加しただけであった。一方、18週目に突入した黄色いベスト運動の方は過去最大規模の暴力的なデモとなりシャゼンリゼ周辺は壊滅的状態となった。シャンゼリゼの名物カフェ・フーケッツや銀行が炎上し、シャネル、ブルガリ、スワロフスキー、ロンシャンなどが攻撃されウインドーやファサードが破壊された。この週末、パリはどうしようもないくらい酷い状態となった。僕は最近、土曜日は「外出しない日」と決めている。(毎回、シャンゼリゼが舞台になっている。観光客は土曜日、シャンゼリゼにだけは行かない方がいい)
とにかく、フランス人はデモが好きというのか、何か問題があると全員で立ち上がって大通りを占拠する。中高生でもこれほど大規模なデモを計画するのだ。フランスで暮らすようになってから、日本とはぜんぜん違う、と思った。日本では、あれほどの原発事故があっても、すぐに大きなデモが起こらなかった。一方欧州では即座に大規模な反原発デモがイタリアやフランスなど欧州各地で起こった。この違いはいったいなんだろう。今回の中高生のデモは全土の学生を巻き込んだ相当に大規模なもので、彼らの言い分もかなりしっかりとしている。「あなたたち大人はもうすぐ死ぬからいい。でも、僕らはこれからもこの星で生き続けなくてはならない。僕らにこういう世界を残して、大人として恥ずかしくないのか?」こういう質問をテレビの討論会で、子供の代表がマクロン大統領に叩きつけ、拍手喝采を浴びた。これに対しマクロン大統領の回答は子供の質問に直接答えるものではなく、大人社会の難しさを説く難解なものであった。その討論会を見ていた息子は「もう、大人には任せられない」と呟いた。ずいぶんと大人な僕には耳の痛いコメントであった。
フランス人はこの手の討論会もよくやる。テレビ番組はバラエティよりも社会問題などをテーマにした討論会の方が多い。なんでこんなに議論ばかりしているのだろうと不思議になるし、デモはそこら中でしょっちゅう起こっており、交通渋滞や交通マヒも日常茶飯事だ。渋滞していると思うと、だいたいデモ隊が道の先を埋め尽くしている。そのせいで立ち往生したことが何度もあるが、デモに対して市民は一応に寛容である。(土曜日の黄色いベスト運動によって放たれた炎で火事が起こり、幼い子供たちが巻き込まれ、救出はされたけど、一方で暴力に対する抗議も大きな声となっている)とにかく、フランス人は全ての人が持論を持っており、はっきりとしている。意見がない人や、分からないという人に、会ったことがない。自分はこうだと主張することがどうもフランス人気質(欧州全体に言える傾向かと思う)のようだ。革命で王制を終わらせた国だからだろうか、子供の頃から強い問題意識をもっており政治への関心も強い。そうやってフランス共和国が生まれたのだから当然かもしれない。同じ原発大国のフランスなので、じゃあ、なんで原発は大丈夫なのか、と僕は皮肉な質問をぶつけたことがある。「絶対に地震がないからだ」と戻って来た。同じ質問をイタリア人にぶつけたところ「日本人にも手に負えない問題を僕らが解決できるわけがないから原発は持たない」という恐ろしく明確な返事であった。息子の同級生たちが集まると馬鹿話の合間にも気候問題や未来について語り合っている。ガソリン税の値上げからはじまった黄色いベスト運動はフランスの政権にじわじわとボディブローを浴びせている。暴力に反対する勢力の声も高い。フランスは子供から大人まで自分たちの生活を向上させるため行動している。日本人からすると正直ちょっと行き過ぎてる感もあるが、それが彼らのやり方だということであろう。行きすぎたら誰かが抗議をし、抗議に誰かが反発している。彼らは自由を発明した国の人たちだからだろう、まず、自分たちでなんとかしたいのだ。