JINSEI STORIES
滞仏日記「フランスで店をだす人はどこを見ているのか」 Posted on 2019/03/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、友人の知り合いがおいなり専門店「oinari」をパリ市内でやっているというので、取材を兼ねて大好物のおいなりを食べに出かけてみた。広告関係の仕事をしていたご主人がなぜパリでおいなり屋さんを開業することになったのか、とっても気になった。ここのところ、パリ市内中心部では、日本人経営者による和食店のオープンが目白押しで、どこも流行っている。ラーメンはもちろん、讃岐うどん、そば、たこ焼き、カツカレーなど多岐に渡る日本食(洋食も含む)が提供されている。昔はどこもかしこも焼き鳥、寿司、鉄板焼きばかりだったが、時代は変わった。どの和食店も行列が出来る繁盛ぶりだが、フランスは税金が物凄く高いので利益を出すのは結構難しい。なのに、なぜパリに店を出すのか。有名ラーメン店などであれば美食のパリで「箔をつける」とか「世界戦略」なんてイメージが頭に浮かぶけれど、脱サラからの、しかも飲食の経験もない元会社員がおいなり屋さんの経営というのはあまりに敷居が高い。フランスでお店を出す場合、まず労働ビザが必要になるし、お店を出すには店を借りることになるのだけど、家賃とは別で、営業権というのがあり、これがまた、べらぼうに高い。7坪ほどの物件(地下もついてる)の営業権が2000万円ほど必要になる。
こちらのご主人に僕はしつこく質問してみた。実は僕も「なぜパリ?」と訊かれるとあまり明確な理由を答えられない。17年もこの街で生きていると運命としか言えなくなってきた。でも、パリ9区に店を出してまだ2年しか経っていないし、脱サラをしていきなりパリで店を出すには、茨の道過ぎる。お子さんが二人いて、二人目はパリで生まれたばかり、の四人家族。営業権はお金があれば手に入るかもしれないが、テロ以降、労働ビザは今本当に取得できない。そのような厳しい難関を乗り越えての開店には何か深い意味があるに違いない、と思って聞いてみた。「フランスが好きだったから、パリで暮らしたかったんです」というのが彼の答えだった。「それだけですか?」「ええ、僕は店をやりたかったのじゃなく、フランスで暮らしたかった。でも生きていかないとならない。そこでおいなり屋を考えたのです」「といっても、飲食の経験ないでしょ?」「辻さんと一緒で、料理好きでしたし、あと相当リサーチをやりました」このリサーチというのが面白かった。鎌倉の商店街に屋台を出して一個200円のおいなりさんを販売してみたり、東京のフランス人を集めて試食会をやって意見を聞いたり、帝国ホテルのシェフのアドバイスを貰ったり(帝国ホテルとおいなりさんというのが僕の頭の中では一致しなかった)、元広告業界の人だけのことはあり、かなり様々な調査をやった上でのパリ進出だったのである。1年目はそこそこだったというが、2年目は常連客がついて倍増したのだとか、でも、本人は控えめに「一気には増えません」というけれど、奥さんは「倍増です!」と否定した。おいなりさんは甘い。甘い食べ物が好きなフランス人にはどうも受けるようだ。僕もおいなりさんには目がない。なので稲荷寿司は受けると前々から思っていた。しかも、ここのいなりの揚げは京都伏見からの輸入品・・・。日本円で一個250円程度すると聞くと日本人的には、高い、と思うけれど、フランスは物価が高いので仕方ない値段かもしれない。(ランチがお得である)
有名レストランでメインシェフを長年務めた友人のSさんはもう1年ほど物件を探しているけれど、なかなかいい物件に巡り会えずにいる。Sさんも四人家族でおいなり屋さんのIさんとほぼ同年代。彼はフレンチレストランを出したいので、平米数がもう少し広い店を探している。その分、営業権も高い。それでも大勢の料理人が毎年この街に世界中から集まって来てレストランを出している。IさんとSさんは出店の動機が違うけれど、でも、お客はそこのものが美味しいから行く。開店1年目のある日、Iさんの店に常連さんが花束を持ってやって来た。1年目、おめでとう、と彼女は言った。こういうささやかな感動が続けようという気持ちに繋がるのだとか・・・。頑張ってほしいなあ、と僕は思った。