JINSEI STORIES

滞仏日記「おふくろがその人生を通して僕に教えたこと」 Posted on 2019/03/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、僕らが暮らす建物には子供がたくさん住んでいる。
ある時、風の換気をよくするためにドアをほんの少し開けていたら、上の階のアシュバル君4歳が僕の部屋までやって来た。
その時、僕はドアを開けていたことすら忘れて、歌っていた。
幼い子供がドア越しに顔を覗かせていたのでびっくりした。
彼は彼で僕が弾く生ギターに感動したようで、目を丸くしていた。
お母さんが階段でアシュバル君の名前を呼んだので、ここにいますよ、と教えた。
「すいません、勝手に入っていっちゃって」と謝られた。
「でも、いつもあなたの歌が響きだすと床に耳を押し付けて聞き入っているんです」「そうですか、僕はぜんぜん構いません。
アシュバル君のような子に好かれて嬉しいです」と伝えておいた。
その日から彼は我が家の前を通るたんびに大声で「ムッシュ~、ジャポネ~(日本人)」と叫んでいく。気にしてくれてありがとう! 嬉しいけれど、恥ずかしい瞬間でもある。巻き寿司を作り過ぎたので、アシュバル家にお裾分けしたら、翌日、仕事をしていると「ムッシュ、ジャポネ、寿司、ありがとう」と可愛い声が聞こえてきた。
ドアを開けると、アシュバル君がドアの前に立っていた。
小さな声で「ムッシュ、お寿司も美味しかった。
歌も歌えるし、すごいね。今度僕にギター教えてください」と言った。
僕は頷き、いいよ、お寿司の作り方も教えてあげるね、と伝えると、彼は嬉しそうに笑うのだった。



今日、親しくしている女友達が7歳になる息子バンジャマン君を連れてやって来た。
僕が出迎えると、彼がドアの前で不意に強張って動かなくなった。
初対面だから仕方ないと思ってると、友達が「違うの、バンジャマンはあなたのYouTubeを毎晩チェックしないと寝ないのよ」と言い出した。
バンジャマン君はハーフなので少しだけ日本語が分かる。
試しに「出来ました~!」とおどけてみせた。
すると不意に満面の笑顔になり、ぎゃあああ、と叫んだ。
「本物だ、ママ!」ユーチューブの動画内で僕が必ず言う決めセリフである。
オーブンの蓋を閉める時には「閉めました~!」とジェスチャーを付けてやる。
誰もいないキッチンでカメラに向かってこれをやっている時の僕の精神状態はちょっと心配だが、これが子供に受けることが分かって一番喜んだのはほかでもない僕であった。
どうも、あの番組は子供受けしているようだ。
何が子供心を擽るのか分からない。
こちらは真剣に料理をしているだけなのだけど、時々、楽しくなって馬鹿をやる。
そりゃ、そうだ。息子もいない静まり返った家の中でオヤジが一人でまじめに料理してもつまらない。
カメラの向こうに誰かがいると思って料理をしていなければ辛くなる。
思えば、そういうおふざけ行為はもともと幼い我が子に向けてやっていたことだった。
落ち込んでいた子供を喜ばせたくて僕は時々キッチンで道化師役をやった。
その名残があの番組の中で花開いたというわけである。
食堂のテーブルを卓球台にして、息子とバンジャマンが兄弟のように卓球をやりはじめた。
僕はバンジャマンがサーブを決めるたびに「決まりました~!」と叫んで彼を笑わせた。
息子もバンジャマンのような子供の時代があった。
光陰矢の如しである。



滞仏日記「おふくろがその人生を通して僕に教えたこと」



僕が料理好きになるのは母親の影響が大きい。
母さんは朝から晩までキッチンに立ち、家族のためにご飯を作り続けた。
その後ろ姿はリズミカルでとっても愉快であった。
餃子を作っている時にはまるでダンスを踊っているようだった。
(実際、彼女は社交ダンスの名人でもあった)その背中を見て育ったからこそ僕は料理が好きになったのかもしれない。
母の美味しい料理が僕を育てたと言っても過言じゃない。
ある日、母さんはこっそりと見ていた僕(まるで、アシュバル君のように)を不意に振り返った。
僕はびっくりした。母さんは僕が見ていたのを知っていたのだ。
そして、こう言った。
「仁成、苦しいこと、悲しいこと、辛いことがあったら、ジャンジャン炒めて、ガンガン食べるんだよ。
人間は腹いっぱいになれば眠くなる。
寝て起きたらもう嫌なことは消えてるからね」と。
それは人生の教訓となった。
でも、ある日、母さんは僕を振り返ってこうも言った「仁成、もしかするとママは父さんと離婚をするかもしれない。
でも、何が起きてもママはお前たちの傍にいるからね」と。
あれから半世紀以上が過ぎた。結局、父と母は離婚しなかった。
なぜ、あの時、母さんは僕にだけその時の苦しい気持ちを打ち明けたのであろう。
わかろうはずもないが、家族のために料理をすることの大事さを僕は母さんから教わった。
博多に行くと、母さんはいまだに僕のために料理を作ってくれる。
もう、83歳だけど、相変わらず美味しい料理ばかりだ。
僕はその感動を2Gチャンネルで子供たちに向け届けていきたい。
あの日の僕やあの日の息子、そして、アシュバルやバンジャマンたちを、少しだけ笑わせたいのかもしれない。
生きることは食べることだよ。
食べて元気になって立派な大人になるんだよ、と・・・。
 

滞仏日記「おふくろがその人生を通して僕に教えたこと」

 

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