JINSEI STORIES
滞仏日記「異国で自分の身分を証明する難しさ」 Posted on 2019/02/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、夏休みの日本一時帰国の航空券を手配するために息子のパスポートを確認したところ、期限が4月末で切れることがわかった。
僕は慌てて息子と、更新に必要な書類を持って日本大使館へと赴いた。
パリはこのところ快晴が続いていて気持ちがいい散歩日和でもあった。
凱旋門を抜け、アベニュー・オッシュのパーキングに車を停めた。
息子はずっと最近仲良くしている友達について語っている。
彼が喋る日本語が音楽のように僕を眠くさせる。
渡仏から17年が過ぎた。異国で生きる日本人にとって日本のパスポートのありがたさは身に染みている。
英国の企業が毎年行っているパスポートランキングで日本はビザなし渡航出来るパスポートの一位にシンガポールとともにランクインしている。
実は世界最強のパスポートなのだ。
どのくらい待遇がいいのか、海外在住者じゃないとわからないだろう。
世界様々な国へ移動をしてみれば自ずとわかる。
イミグレーションでの対応が若干異なる。
日本のパスポートだと通過するのにあまり時間がかからない。
厳密によその国と比較出来たわけじゃないが、僕はこの17年間、イミグレーションに要した時間は平均30秒程度と短い。
ほぼスルーの扱いを受けたことすらある。
イミグレの警察官がどういう基準で審査しているのかわからないが、日本のパスポートの信頼性の高さにある種の定評があるのじゃないかという印象を抱いた。
なのに、パスポートを持ってない日本人も多い。もったいない話である。
月曜日の午前中、大使館のパスポート窓口は若干混雑する。
週末にパスポートを紛失した日本人が並ぶからだ。
僕らの前の男性も週末に紛失した一人であった。
日本大使館のありがたみはこういう時によくわかる。
職員の対応も丁寧だし、心細い日本人にとって大きな支えとなる。
僕は、少なくとも、欧州各国で仕事をしたり旅行をする時、各国にある日本大使館と職員の存在に助けられてきたことしか思い出せない。
僕の前の男性は泣きつくような勢いでパスポート紛失について語っていた。
職員が丁寧に説明すると安心をしたのだろう、声のトーンが次第に落ち着きを取り戻していった。
異国で自分の身分を証明できないことくらい心細いことはない。
身分という言葉は使い慣れないしあまり好きではないが、自分が何者であるかを海外では必ず証明しないとならない。
在留邦人は日本のパスポートとフランスにおける滞在許可証を持っている。
僕はアメリカのグリーンカードにあたるビザを持っている。
この取得にどれほどの時間と忍耐と努力が必要だったことか。
外国で働くことのできる滞在許可証の取得は難しい。
僕はやっと一番強い許可証を取得できたし、この国で働くことの出来る番号や労働団体にも所属しているので、待遇はフランス人と変わらなくなった。
その権利を取得するまでにだいたい10年を要する。
フランスで生まれた息子がここで成長をしていくのにも同等の大変さが付きまとった。
けれども、彼はこの国が生まれ故郷にあたるので、その待遇は僕よりも強い。
日仏の身分を僕らは持っているということだ。
10年ほど前、日本で職質を受けたことがある。
免許証を失効していた僕は身分を証明できなくて困った。
日本にいる時は自分の国なのでパスポートを持ち歩かない。
仕方がないから、僕は警察官の前でZOOを歌ってみせ、失笑された。
身分を証明することが異国では大事だという話である。
僕にとって日本は外国化しつつある。
その時もフランスの滞在許可証とフランスの免許証は持っていた。
これは生きるために自然に身についた護身術でもある。
日本の警察官たちは「それじゃ身分は証明できない。
ここは日本なのだから」と言った。
その時、日本には僕ら在仏日本人が飛び込める日本大使館がないのだな、と思った。
日本のジャーナリストや企業の方々がテロ組織に捕まったり事件に巻き込まれたりすることがあるが、邦人救出を第一にする日本大使館の方々の努力が目に浮かぶ。
在留日本人の僕がフランスでやっていけるのは日本大使館の後ろ盾のおかげもある。
世界一のパスポートをもっと日本人が活用すればいいのにと思う。
こんなに強いパスポートを使わない手はない。
ビザなし渡航が出来る国が全世界に180カ国もある。
ロシアに行く時にはまずロシア大使館に行き、面倒くさいビザの申請をやらないとならないが、その手続きが必要ない国が世界に180カ国もあるというのだからすごい。
息子のパスポートの申請が終わり、僕らは職員の女性にお礼を言って外にでた。
それから二人でパレ・ロワイヤルまで行き、日向ぼっこをして過ごした。
大勢の観光客がベンチに座ってのんびりとパリを楽しんでいた。
この人たち全員がパスポートを持っているんだね、と息子が言った。「僕は世界中で仕事をしていきたい。フランスや日本だけじゃなく、世界を相手に仕事をしていきたい」やっぱり、息子の日本語は音楽のようだ。
僕は眠くなった。