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滞仏日記「リスペクトされていますか?」 Posted on 2019/02/21 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、つくづく思うことがある。人間は大切にしてくれる人たちに囲まれて生きていればいいのだ。自分のことを否定する人たちの中で生きるのは間違えている。「人間は我慢だ」とよく聞くが、我慢をして幸せになれた人がいったいどれくらいいるだろう。我慢をしている時点で幸せから遠のいていることに早く気が付くべきだ。

フランス語にも我慢に近い単語はあるけれど、日本語における我慢をそのまま表せる言葉ではない。それは我慢が美徳ではないことをフランス人が知っているからだろう。昔の日本人は我慢を美徳としていた。しかし、現代の日本人はそもそも我慢が出来ないし、我慢に向かなくなっている。そういう人が我慢をして幸せになるわけがない。なぜ、僕らは我慢を強いられなきゃならないのだろう。それは誰かの犠牲になれということでもある。我慢をするということはそれで得をする誰かがいるということじゃないか。これは誠に理不尽な話で、承服しかねる。周りにいる人が、相手が、パートナーが自分を大切にしてくれないなら、すぐにそこを離れるべきだと僕は思う。我慢をして殺される必要はないし、人間は奴隷じゃない。幸せになる権利が全ての人間にある。



自分の周りを見回してみればわかる。きれいごとを並べられても、どれだけ大切にされているかは一目瞭然であろう。僕は仕事でもプライベートでも自分を大切にしてくれる人の傍で生きたいと願っている。なぜなら、そこには我慢がないからだ。大切に扱ってくれる人たちには僕に対するリスペクトがある。そうだ、リスペクトの無い人たちと腹を割った仕事は出来ない。リスペクトを難しく考えてはならない。日本人に対してリスペクトを持つフランス人の方が持たない人よりかは共有できるものが大きい。フランス人を小ばかにする日本人と仕事をしたがるフランス人はいないだろう。同じことがありとあらゆる世代、人種、国家間、人間関係、性別に関係してくる。僕は相手の立場をなるべく理解したいと思う立ち位置で他者と向かい合ってきたつもりだ。その基本はリスペクト。まず、相手の中にリスペクト出来るものを見つけることから人付き合いを始める。逆を言えば、リスペクト出来るものがない人間には近付かない。鉄則である。人間関係はリスペクトからはじまる。そして、リスペクトで終わると思っていい。僕を否定する人を僕はリスペクトできない。リスペクト出来る人と向き合うのが建設的というものだ。そういう関係であればより生産性のある人生を送ることが出来る。



無理をして、我慢をして、自分のことを否定する人間関係や社会の中にいる必要は全くない。一生は一度しかない。その一度しかない人生なのに自分のことをリスペクトしない人と一緒に居ていったい何の得になるのだろう。出会いは無限にある。あわない鍵でドアは開かない。自分の鍵で開くドアを探すのがベストというものだ。もしも今、人間関係が苦しいと思うのなら、周りを見回してみるといい。自分はここで必要とされているか、リスペクトされているか? 我慢してないか? ならばもう一度少し遠くを見回してみよう。世界は広い。あなたを必要する世界は無限にあることがわかる。否定されない場所は必ずある。

僕のことを「辻さんは裸の王様だ」と言う人がいた。いや、それは違う。僕は薄着の王様なのだ。頑丈な鎧や兜はまとわないし、高価なミンクのコートも着ない。だからといって裸にはなりたくない。Tシャツとジーパンの王様でいい。裸の王様や鎧兜の王様じゃ、誰もリスペクトしてくれない。何者でもない自分をリスペクトしてくれる人たちの中でこそ輝く、が僕の哲学でもある。
 

滞仏日記「リスペクトされていますか?」

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