JINSEI STORIES
リサイクル日記「諦める力」 Posted on 2023/05/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、夢を持つのはいいけれど、全ての夢が叶うわけではないので、時には、潔く諦めないとならないこともある。調子のいい時ばかりではない、不意に明るい話が翳ることもある。そういうことを予め想定して進むよう、僕は心掛けている。
僕は夢とか目標とか希望に向かうことが多いのでそれらが暗礁に乗り上げた瞬間にやってくる暗い影を何度も見てきた。
笑顔だった人がどす黒い顔に変わる嫌な瞬間に遭遇したことがある。
前向きなことを力説していた人が不意に忽然と消えるのを何回も経験している。
だから、僕はどこかでいつも冷静な自分を横においておくよう心掛けてきた。それは自分が傷つかないための鉄則であろう。
そして、いざとなったら諦めることも道だと決めている。そのせいで傷ついてきた人、傷ついた自分をたくさん眺めてきた。
自分や自分の仲間たちが傷つく前に、我を捨てて、諦めることも必要じゃないか。
そもそも自分を偽り、自分に嘘をついてやる必要があるのだろうか、と自問すればいい。意地を張って、自分に嘘をつき、誤魔化して、夢を歪曲させてでもゴールを目指す必要など一切ない。
諦める力も、時には、諦めない力より重要になる。
いざとなったら諦めろ、と僕は僕に言い聞かせている。
長い人生においていったい何パーセントのことが自分の思う通りになったか考えてみる。たぶん、ほとんどが失望になった。成功よりも圧倒的に失望の方が多かった。
成功した時はわけのわからない人が友達のような感じで近づいてくるし、知らない親戚も増え、音沙汰の無かった人からもお祝いが届くようになる。
でも、失敗した時は寂しいものだ。知り合いはことごとく他人に戻り、友達は減り、仲間だと思っていた人間からの陰口が届くようになる。僕はこういうことを経験したことがある。
結局、それはいわゆる「不徳の致すところ」のせいかもしれない。
ある時、僕はやっと警戒することを覚えた。調子のいい時にこそ、身を引き締めろと自分に言い聞かせる。
美味しいことを言って近づいてくる人には一定の距離を持つようになった。これは当然のことかもしれない。
僕のいいところは、人を信じる力であり、そこへまい進する力だった。でも、これは賭博のようなもので、外れることの方が多く、結果、心も肉体もぼろぼろになる。
そこで僕は決めた。これ以上、自分を誤魔化してやるべきじゃない、と思ったら、諦めよう、と。
諦めることを悪いことだと思うのはよくない。時にはすっぱりと諦めて、方向を変える、方針を変えることも大事なのじゃないか、と。
諦める力を獲得してから、僕は大きく傷つかなくなった。
傷つくけど、最小限で済むようになった。
その分、成功を掴み難くなったのも確かだが、ホームランを狙い過ぎると一点も入れられないことだってある。
バントで地道に一点を狙っていく攻め方もある。無理して勝とうとしなくても、まじめに生きていればいつか点は入る。
無理をするのはいいと思うし、頑張って当然だと思うが、自分を殺したり、自分に嘘をついてまでやる必要はないし、そういう時にいいものは生まれない。
どこかの段階で、懸命な人間は決断をするべきであろう。諦める力がその人の人生を救うことだってある、と僕は思っている。
逃走とか撤退じゃなく、嘘をつき続けて自分を鼓舞するのをやめるということに過ぎない。
もう一度、自分を見つめ直すということだろう。そして、違う角度でもあらたに挑めばいい。
それこそが、僕が思う「諦める力」なのである。