JINSEI STORIES
滞仏日記「息子のガールフレンド」 Posted on 2019/02/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、朝からそわそわしていたけれど、勘づかれないようにした。息子がネットで知り合った女の子と水族館デートに行く日だ。二人は一年ほど前からスカイプを通して毎日のようにやり取りをしている。今時の子たちはネットの中に、クラスメイトとは別の、親しい友人がいるようだ。そういえば、ちょっと前のことだけど、いつもスカイプでばかり友達と遊んでいることを忠告したことがあった。「たまには外で遊んだらどうだ」と。すると息子は「パパの時代は野原を駆け回ったかもしれないけど、僕らの時代の野原はネットの中にあるんだよ」と言われてしまう。彼が友人と認める子たちのほとんどが全世界に散らばっていて、一度も会ったことがなかった。アマチュア無線をやっていた僕は小学生だった昔の自分を振り返る。確かに辻少年は無線機を通してハワイの子と友達になったことがあった、そしてその子とはもちろん会ったことがなかった。こんなにネットが当たり前になった現代、ネットは僕の少年期の草むらになった、と言えるかもしれない。その中で、会いたい、と思える子が出てきたのは、息子にとってとってもいいことであろう。
何回か彼女の声を聞いたことがあるけれど、とにかく元気で闊達なフランス人の女の子だ。一年もの歳月を経て、フランスの国鉄に乗って、遠方からわざわざ出てくることになった。二人がようやく出会うと聞いた時、僕はきっと彼らよりもドキドキしていた。そんな小説や映画みたいな出会い、想像しては僕の方が緊張する。二人が待ち合わせたサン・ラザール駅までの経路をネットで調べて印字し渡した時点で親ばかすぎると反省をした。でも、今日はパリ全域で大規模な黄色いベスト運動のデモ行進が行われる。慣れているとはいえ、過激な連中も大勢いるし、実際暴動も起きる。二人が巻き込まれないか親としては心配なのだ。パソコンで調べると最寄り駅はことごとく閉鎖されているし、テレビをつけるとデモ隊がシャンゼリゼ通りをすでに占拠していた。警察の機動部隊が彼らのデモルートをブロックしていた。何も今日じゃなくてもいいのに、と僕は心配になる。いや、でも、その方がよりドラマティックかもしれない、と考え直した。「パパ、言っとくけど、普通の友達だよ。パパはなんでもドラマティックに考えるけど、女の子の友達がみんなガールフレンドってことはないでしょ? そういう考えは古すぎる。そもそも、女の子と遊ぶことは大騒ぎすることじゃないよ。ミーハーで恥ずかしいよ」と窘められてしまった。
僕のアマチュア無線のコールサインはJA8PGZだった。現在の電波通信制度がどのように変更になったかわからないけれど、僕が合格した小学6年生当時はアマチュア無線技士と呼ばれていた。無線機のマイクに向かって、「ハロー、CQ、CQ、こちらはJA8PGZ、ジャパン、アルファ、ナンバー8、パパ、ゴルフ、ザンジバル、北海道帯広市、どちら様かコンタクトお願いします」と呼び掛けていたのだ。CQというのは各局ということである。ほとんどが日本の人で、しかも僕よりもずっと大人だったけれど、電波の世界で誰かと繋がるのがとっても刺激的だった。一番遠方のCQがハワイのアマチュア無線技士だった。はじめての外国人であり、その人が少し日本語を話せたように記憶しているけれど、繋がった時の感動は計り知れなかった。今、息子がパソコンを通して繋がっていく世界各国の仲間たちとの交流を見ていると、大昔の自分と重なる部分が多少ある。彼らはCQなのかもしれない。いいCQがほとんどだろうけど、中にはそうじゃないCQもいるはずで、実際に会わないでその人を見抜いていくことは(犯罪に巻き込まれることだってあるだろうに)きっと人生経験の上でいい勉強になるはずだ。帯広から函館に移った時に、僕はアマチュア無線をやらなくなり、興味がバンド活動へと移行した。そして、気が付くと、免許の更新を忘れてしまい、せっかく取得した資格を失うことになる。あの頃、会いたいと思った人たちが数人いたが、距離や、僕が幼かったという問題もあって、出会うことは叶わなかった。
夕方、息子が帰って来たので、何気なく、どうだった、と訊いてみた。「うん、よかったよ」と彼は笑顔で返事をした。なんと、その子の横にはお母さんがいたのだ。心配だったのであろう、年頃の女の子なのだから当然である。お母さんも一緒に水族館に行ったが、水族館の中には入らなかった。「お母さんはどうされていたの?」「外で時間を潰していたいみたいだよ」微笑みを誘われた。いいお母さんだな、と思った。そして、その人が撮影した息子と息子のガールフレンド、文字通り、女の子のお友達とのツーショットを見せてもらった。まだ幼い二人がエッフェル塔をバックに並んで立っていた。二人は恥ずかしがりながら満面の笑みを浮かべていた。息子が家や学校社会の外で、自分で見つけた友人を持ち、一年間も大切に育てたその友情に花を咲かせたことが、新鮮な驚きと大きな喜びを僕に連れてきたのであった。