JINSEI STORIES
リサイクル日記「年代バリアーを消して友達になる」 Posted on 2022/06/22 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、僕はもう決して若くない年齢だけれど、笑、なぜか友達は20代とか30代の人ばかりなことに最近気が付いた。友達と言い切ってしまえることが凄いなぁと自分に呆れつつも、本当に友達なのだから他の言葉で説明できない。中には親友さえもいる。30歳差とか、40歳差の友達って先輩後輩とか親子みたいな関係じゃないの、とよく言われるのだけど、違う、そうじゃない。本当に友達で、友情を僕らは共有している。年のことを持ち出すのはずるいし、それはフェアじゃないと僕は思うからだろうか、年代バリアーを消し、世代の差で分け隔てなく友達になっていく。(ならない人もいる!)たぶん、僕の側にそういう垣根がないのかもしれない。多分、人間を年で見てないんだろうな、と思う。もっと言えば、何歳というのさえも関係ない。たまたま友達になったら若かったというだけの話で、ただ、さすがに息子の世代の子たちに友人はいないけれど、笑。「辻さんがもしも警察に捕まっても、私は辻さんを信じるし、ずっと友達でいる」と言い切った二十代の友人がいる。その時、僕は嬉しかったけれど、苦笑した。だって、僕のことをいったいなんだと思っているのだ。警察に捕まるようなおやじってことか? 笑った。
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どうして人は世代という垣根を作って、自分は若いとかもう若くないとか、おじさんおばさんだとか、お前はまだ子供だ、このくそジジィ、みたいなことを言うのか、僕には理解できない。有名な政治家がその言葉の足りなさから非常識な発言を繰り返していたりすると、なぜこの人が大人の代表なのだろう、と疑問を覚える。ものすごく年の離れた幼い子が信念をもって物事に挑んでいる姿を見ると自分のふがいなさを恥じることさえある。年齢じゃなく、その人が何を持っているかで価値観は決められないのだろうか、と思うこともあるけど、年功序列を大事にしている人たちにとっては嫌な話なのかもしれない。だから、僕は同世代の立派な仲間たちの先輩面に関しては、お前も偉くなったものだな、と思って目を瞑ることにしている。自分は偉そうにしない人間でいたいなぁ、と思うだけだ。年の離れた人から学べることもたくさんある。何か年齢を重ねると遠慮が出てくるのだろうか、もう自分たちの出る幕じゃない、みたいなことを言う人もいる一方、若者を全否定する大人もいるので、死ぬまで出る幕は開き続けると思うよ、と彼らにはそっと意見したりする。大事なのは年齢の差じゃなく、垣根を作らないことじゃないかな、と僕は思う。人間はシンプルに世界に対して開き続けていればいい。その中で魂や精神というものは研磨されていく。ある程度の年齢が必要かもしれないけれど、魂を鍛えようと思う人たちの精神年齢はあまり変化がないのじゃないか、と思ったりする。あの人ほんと若いよね、と言われる人たちに共通するものはそこかもしれない。
東京滞在中にとあるバーで恰幅のいい紳士と隣同士になった。見た目はもう相当年上に見えたし大企業の会長のような印象だったけど、きっと僕と同世代だな、という直感は見事に的中した。僕はちゃらちゃらした格好、その人はトラッドなスタイル。でも、なぜか僕はとってもこの人が好きになった。小一時間ほどした時、不意にこの人は僕に自分の高校生の時の写真を見せてきた。その写真に写った青年は驚くほどにイケメンで、しかも強い眼光を持っていた。僕は何か懐かしい感動を覚えて、それを自分のスマホで撮影した。同世代という言葉があまり好きではない僕に、この人にその同じ時代を生きてきた歴史を感じたのだ。よく生きてきましたね、と僕はその写真を見下ろしながら呟いた。それはきっと、自分に向けての言葉でもあった。生きてきた場所も、世界も、環境も違うのだけど、その人と飲むのが楽しくて仕方なかった。僕は久しぶりにやんちゃな青年に戻っていた。久しぶりに同世代の友人と出会えた。つまり彼は垣根を持たない人間なんだろうな、と思った。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
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