JINSEI STORIES
リサイクル日記「時には手抜きでいいのです。お疲れ様の自分に」 Posted on 2022/08/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、明らかな理由、原因がある不安と、理由がよくわからない漠然とした不安というものがある。
怖いのは後者の方で、ぼくがよくなるのもそっちだ。
そもそも、原因の分かっている不安は解消可能なのである。
ぼくがよくやるのは、抱えている不安を全て言葉にして吐き出す方法だ。
1、人を好きになる方法が思い出せない。
2,お金の使い方、貯め方がわからない。
3,老後が面倒くさい。
4,小説の書き方が思い出せない。
5,息子をどう扱えばいいかわからない。
6,etc・・・
単純なことだけど、不安が整理されて楽になり、(うーむ、一概には言えませんが)、
「なんだそんなことで悩んでいたのか、でも、それってしょうがないことじゃん、時間が解決してくれるから焦らずまじめに生きていようよ」
という流れに持ち込めれば収束は難しくない。
『潔く諦める、何事も時間がかかる、関わらない』という三原則をそこにあてはめ、一度思考を落とし、ぬるま湯にでも浸かってそのまま寝てしまう。
昼であろうと朝であろうともう一度寝れる時に寝たりすのも効果的。
寝るのは大事だ。
原因が分かっている不安は「勝ちたい」「幸せになりたい」「馬鹿にされたくない」というようなわかりやすい自己防衛が理由だったりする場合が多いので、・・・
三原則が必ず上方修正してくれる。
問題は、理由のないぼんやりとした不安であろう。これは厄介だ。
不安障害というのもこれにあたるのだろう。
ぼくは医者じゃないからその辺のことはよくわからない。
でも、異国で生きていること、シングルファザーであること、息子の話すフランス語を理解してあげられないこと、自由業なので未来が定まっていないこと、一人で死んでいくのかもしれない、などなど。
あげればきりがないが、これら一つ一つとは和解出来ていると思っていても、この要因がいくつも束になってかかってくると魔物が生まれ人生に立ちはだかる。
コンピューターゲームであれば、小さなモンスターはすぐに破壊できても、彼らが合体した最強不安モンスターが出現すると途端にエネルギーを吸い取られ、無力化されて、ぼこぼこにされてしまう。
ちょっと大げさに書いてみたけど、こんなことが毎日意識下で繰り返され、特に頭痛があるわけでも震えがあるわけでもないけど、ふとした時に、ぼくの生きる速度は不安モンスターによって奪われてしまうのだ。意外に同じような漠然とした不安を抱えて生きている人が多いような気がする。
たまに、一切不安がないの、という人に出会ったりする。
不安が一つもなくどうやって今まで生きてこれたのか。
よく話を聞いてみると、不安をどこまで真に受けるか、の違いがあるようだ。
とあるママ友は数年前に離婚され、なんとご主人にDVを受けての、離婚であった。
話を聞くと、かなり、壮絶なDVだった。
相当な修羅場を潜った人だから、少なくとも物凄い不安を抱えていてもおかしくない。
でも、その人はあっけらかんと日々を生きている。
不安はないのですか、と訊くと、私馬鹿だからよくわからないの、と戻って来る。
決して馬鹿な人じゃないけれど、もしかすると馬鹿なふりで現実をはぐらかして生きているのかもしれない。
「それに物忘れが激しくてすぐに忘れちゃうんです」という。いい手だ。
そう思い込むこのは賢い・・。
「辛い時があると誰かに電話しちゃうじゃないですか、電話して盛り上がっているうちに忘れて、じゃあ、今から遊びに行くねとなったら、もうどうでもよくなっちゃうのよー」
羨ましい、とぼくは思った。
「あと、私、どこでも寝れちゃうんです。なんか、スイッチがあって、寝ていい、という判断が出たら勝手に眠くなる。導眠剤に頼る人が信じられないんです」
ここまで話を聞いて、個体差があるのだろうと思った。
ぼくは導眠剤が必要な夜が多い。
できるだけ、服用しないようにしているけど、3日くらいまともに寝ないで生きていると、このままじゃ、倒れるかもれない、と思うこともある。
お医者さんに相談をしたら、ムッシュ、寝ましょう、とお薬を処方された。
最近は、田舎のアパルトマンに行くと、よく眠れる。電磁波がないからかもしれない、と勘繰っている・・・。
僕は頭を使う仕事だからほぼ一日中パソコンに向かい日本語と格闘している。
とてもじゃないけど、睡眠機能や時差など、とっくにぶっ壊れている。
ただ、歌っている時には不安が消えている。これが、もしかすると、ぼくがぼくを保つための源なのかもしれない。
ということは、人間、身体を動かすことが大事だということですね・・・。
ごはんを食べている時や料理している時も気づかないけど、不安のことを、忘れていたりする。
何かに没頭すればいいのである。
不安の場所を作ってしまうから不安がのさばり、それがつけあがって増殖し、馬鹿でかい穴を頭の中に拵えてしまうのだ。
よく寝たら不安は解消できるというのは本当だけど、そもそも不安が原因で寝れない時はどうしたらいいのか、という矛盾が生じる。
子供を朝学校に送り出すために規則正しい生活をしなければならないので眠れないのは辛い。
問題は、この「しなければならない」という生きる上での義務感にこそある。
ちょっと真面目過ぎるのだ。
ちゃんとした料理を食べさせなきゃ可哀想だと思うから家事とか料理とか頑張りすぎるのである。
頑張らないでも、子供は育つ、と思えれば楽になるだろうなぁ。
手抜き、これは、本当に大事な人生のコツじゃないか、と思うのだ。
きっと、自分の許容量を超えてしまって、そこから溢れたものが僕の周辺に漠然とした不安幽霊というものを生み出しているのに違いない。やれやれ。
人間というものは誰もが大なり小なり不安を抱えて生きている。
特に現代は不安の塊だから、そう考えるなら、不安も人生の一部と割り切るのがいいのかもしれない。
いちいち不安を解消させようとかしないで、きたきた不安ちゃんだ、と仲良しだもんね、と自分をからかうくらいがちょうどいい。
こんなことを、真夜中に考えてしまうから、眠れないのかもしれないね。
大いに笑いましょう。
時にはキッチンで大声で歌いましょう。
晴れていたら、ジャージに着替えて、近所を走ってみよう。
そして、
大いに手抜きをしてください。
人生、真面目過ぎると身が持ちません。
自分の人生なのだから、お大事に。
昔のツイートより。
『息子よ。気分下がったら、人間下がり続けるぞ。気分を上げよ。上げる方法を父ちゃんが教えたる。まず、ごみを出せ、親友に電話しろ、部屋の窓を開け、光りの中を歩け、なんなら走れ、大笑いしろ、なんなら声を出して泣け、爆睡、ストレスの原因と名前をトイレットペーパーに全て書き出し、大で流せ。大だ!』