JINSEI STORIES

滞仏日記「マレ地区で、失われた時を求めて」 Posted on 2019/01/13 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日は記憶を辿る一日となった。マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の第一編「スワン家の方へ」には、冒頭で、主人公がプティ・マドレーヌを紅茶(これは菩提樹で出来たティザンヌらしい)に浸して頬張った瞬間、記憶が蘇るという一節がある。この作品において重要な導入部だけど、すっかり忘れていたことが、こうやって不意に頭の中に失われていた記憶が蘇ることは僕にもよくある。そのきっかけが小さなマドレーヌをティザンヌに浸して口に入れた瞬間だったというくだりが実にプルーストらしい。

今日、僕は作家のステファニー・ジャニコに会うためにUBERでパレ・ロワイヤルを目指した。その車窓に流れる左岸の景色を見ていたらとっくの昔に死んでしまった人間のことを思い出した。なぜ、今なのだろうと思うような記憶の唐突な再生で、しかしそれは逃げ水のようにまもなく消えた。しかし、記憶は消されるのじゃなく、特に重要なものは仕舞わているのかもしれない。ステファニー・ジャニコについては、ずっといつ会った人だったのか思い出せないまま、今日を迎えてしまった。でも、彼女の本が僕の書斎にあって、本人から手渡されたものだということは分かっていた。前に一度読んだことのある本だったので捲ってみると、その文体というのか言葉の配置などから記憶が蘇った。副業でMUSEという若い世代向けの文芸雑誌の編集長されていた。その時に僕は彼女と会ったのかもしれない。待ち合わせのレストランに到着すると見覚えのある女性が窓際に座っていて、お互いの記憶を探るような感じで近づき、本当に自然にビズを交わし合った。長年の友人のような感じで・・・。先に蘇ったのは彼女のエクリチュール(文体)であった。人間の手相のようなもので、フランス語の配列から彼女の人となりがうっすらと思い出される。僕の第一声は「私たちは誰の紹介で知り合いましたか?」というちょっと失礼なものとなった。ステファニーは微笑みながら、作家ダニエル・アルサンの紹介ですよ、オデオンのレストランで、文学的な夜のあなたを囲む会で・・・。ああ、と僕はうるおぼえながら記憶を急いで引っ張り出した。そんなことがあった。これ以上の無礼はステファニーに失礼なので、僕は彼女の小説について記憶していることを全て語った。ナンシー・ヒューストンとは正反対に物事をはっきりと理論的にしゃべる人であることが分かった。冷静な語り口調でありながらも、不意に強い熱量を帯び、強い発言者に変貌する。「Notre Temps」の編集長や女流文学賞やブルターニュ文学賞など各選考委員を歴任されているからか、発言は的確で文学的というよりも政治家な強さが潜んでいる。シンポジウムで台風の目になる人だな、と思った。僕は日仏シンポジウムの要点について説明した。彼女はすでに日本側三人(林真理子、桐野夏生、角田光代)の本を熟読していた。その一人一人の良さを見事に掴んでいるような印象を受けた。この時点で僕が感じたことがたぶんこのシンポジウムの議題になるのであろう。両国の女性作家たちが戦前戦後に置かれた状況とそこから現在までのしっかりした道程を辿る歴史的な流れがまず議論の背景に置かれることだろう。世界的なフェミニズム運動などの、これはナンシー・ヒューストンの専門だけど、そういう時事性も加わり、女性側からの文学、またセクシャリティの比較を取り込みながら、日仏の似たような境遇の、女性文学時代を総括しつつ様々な議論がなされるのではないか、と思った。女流文学という言葉はフランスにはないので、その辺のことも興味がある、とステファニーが呟いた。ステファニーが最後に僕に告げた言葉が印象的であった。彼女は数年前にLe Memoire du Mondeという数千枚に及ぶ本を出版した。ノルド文庫賞を受賞したが多くの批判を受けたようだ。「世間(フランス)は女性作家の作品に恋愛や子供、セクシャリティーなどのテーマばかりを求めたがる。でも、一たび社会や政治についての本を書くと敬遠されてしまうのよ。それは今の私なの」

夜、僕は友人とマレ地区にいた。この辺りはユダヤ系地区だが、もう一つの顔はLGBTの中心地。知り合いは女性だが彼女は女性解放運動の第一人者でナンシー・ヒューストンを僕に推薦してくれた人物でもある。二人でRue de Rosierの角を曲がった時、小雨が降っていて、路面が美しく濡れていたのだけど、その時、不意に17年ほど前の記憶が蘇った。多分、その辺に思い出のバーがある。でも、どんなところだったか思い出せなかったので二人で探すことになる。僕の最初の本「白仏」のフランス語版「le bouddha blanc」が発売された直後だったが、この辺りに住む詩人とそこで飲んだ。右手が天井までの書棚になっており、文芸本を中心に積み上げられている(読めるし、買えた)。左手がカウンターで作家とか詩人とかが屯して立ち飲みしている。簡単に説明するならばブックワインバーかな。前にここに立ち寄ったのは2001年のことじゃなかったか。その時そこに僕の本がたまたま置かれてあったのだ。気をよくして僕は遅くまで飲んだくれた。その時の女店員が今、カウンターの中にいる人であった。20年近い歳月が流れている。それなりの年齢になっている。当時は若かった。でも、同じ人物であるという確証はない。二度ほど目が合ったが、逸らされた。たった一夜の立ち寄りで、それも二時間程度の滞在じゃなかったか。覚えてるわけはないか・・・。帰りがけに僕から近づき「17年ほど前に」と小さく告げてみた。すると「あなたのことはよく覚えています。作家の方ですね」と丁寧な言葉が戻って来た「覚えていてくれたの? 素晴らしい。作家の辻仁成です」と握手をした。そうだ、ブリジットさんだった。「私は今ここの支配人なの。ここで務めだして19年が経った。あなたが来店した時はまだ私は若く、何もかもが新鮮だったのよ。だからはっきりと覚えています」その間、僕には驚くほどにいろいろなことがあった。それらが堰を切ったように頭の中に溢れ出してしまった。記憶というものは残酷である。しかし、どうして僕はブリジットの記憶の中にこんなにも長く居続けることが出来たのだろう。人によってはどうでもいいようなことだろうが、僕にとってはとっても嬉しいことであった。そこにいた詩人が僕に「日本の一期一会というものの力だろう」と言った。 
 

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