PANORAMA STORIES
新しいブランドを立ち上げる Posted on 2019/01/09 佐藤 康司 デザイナー パリ
ミッシェルクラン社を退社したのは2016年の年末だ。約15年間働いたブランドから離れて独立をした。
通常パリにおいて、デザイナー職で働く場合、2、3年毎にブランドを渡り歩き経験を積みながらステップアップしていってディレクター職に就くか、独立するのが普通である。僕のように役職が変わりながら15年も1つのブランドで働くのはかなり珍しい事だと思う。
理由はいくつかあるけれど、その1つはミッシェルの交友関係の広さにあると思う。
入社して間もない頃、ボンマルシェというパリ左岸のデパートでミッシェルが企画した「チャイニーズジャケット展」が開催された。当時ミッシェルのデザインの代名詞でもあったチャイニーズジャケットにちなんで彼の友人、知人のデザイナーやアーティストに依頼して1着づつジャケットを作成提出してもらい一同に展示をするというものだった。
そこには、カールラガーフェルド、ゴルチェ、ラクロワ、高田賢三、ヨージヤマモトなど一流デザイナーが参加してオープニングパーティで彼らを目にして興奮したのを覚えている。こういったイベントの企画は普通のデザイナーにはなかなかできないことだ。
ミッシェルのコレクションをカールラガーフェルドに撮影してもらい、展示方式で発表したことがある。
オルセー美術館裏のStudio7Lというカールのフォトスタジオで一緒に仕事をしたのだけど、フェンディのデザインをしている部屋を見せてもらったことや明け方まで色々なアイデアを出しながらパワフルに撮影をするカールの姿は今でも忘れられない。
イラストレータやフォトショップのテクニックを教えてくれたのもミッシェルの友人でカールのアシスタントであるシャネルのデザイナーだった。
ミッシェルの交友関係が広いおかげで普通に働いていたら決して出会えないだろう第一線で活躍する人たちに度々出会えたことは仕事を続けてこれた大きな要因だったと思う。
もう一つの理由は会社の規模にあると思う。
ミッシェルクラン社では服のデザイン、プリント柄、刺繍柄のほか、バッグ、シューズ、アイウェア、子供服、家具なども担当したことがある。さらに、日本へのライセンスデザイン提供ではバッグやシューズのほかに腕時計、ベルト、皮小物、ネクタイ、水着、グローブ、スカーフ、傘、寝具、喫煙具、トイレタリー、ランドセルに至るまで、アイテムの変化はあれど約15〜20アイテムのデザインを25歳から10年以上担当していた。大きな企業なら各ラインに数名のデザイナーがいるのだろうけど、小規模だったミッシェルクラン社では自分一人で複数のアイテムの担当をすることができた。これだけのアイテムを勉強しながら仕事としてデザインをし続けることが出来たことは今の自分にとって大きなプラスになっていると思う。
ミッシェルが服だけでなく色々なことに興味があるデザイナーなので、本当に貴重な経験をたくさんさせてもらったが、自分のフィルターを通していてもそれはやっぱりミッシェルクランブランドの世界であることには変わりはない。僕も彼のアイデアがより彼らしく、より良くなるようにとサポートしてきたのだ。でもやっぱり核の部分で ”もし自分自身のブランドならこうしたい” という気持ちがこの15年間変わらなかったのも事実で、だからこそ新たなチャレンジをしていこうと決めた。
今まで培ってきたものを今度は自分のものに昇華してパリから世界に向けて表現していきたい、と思い独立を決意した。そして2017年、独立後の最初のプロジェクトとしてアパレルではなくレザーバッグブランドの立ち上げに踏み切った。いよいよ2019年は勝負の年になる。イギリス、フランス、をはじめ欧州各地へ僕の新ブランド「LIENDE」が羽ばたく。
Posted by 佐藤 康司
佐藤 康司
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デザイナー。1976年生まれ。新潟市出身。98年に渡仏。Academie Internationale de Coupe de Parisモデリスト科を首席で卒業。YVES SAINT LAURENT HAUTE COUTUREのタイユールのアトリエで研修後、 HERMÈSで当時クリエイティブディレクターだったマルタンマルジェラ氏に師事。2001年よりMICHEL KLEINのアシスタントデザイナーに。アパレル、アクセサリー、テキスタイル、刺繍、ライセンスを担当。2010年よりデザインディレクター兼コレクション責任者に就任。2017年4月にパリで株式会社CREAFIDEMSを立ち上げ、現在様々なプロジェクトを進行中。