JINSEI STORIES
リサイクル日記「パリ左岸、週末散歩、パリの路地裏を行く」 Posted on 2022/12/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、午後、サンジェルマン・デ・プレ界隈を歩いた。
頭が落ち着かなくなると僕はとにかく歩く。
パリは狭いので端から端までがんばれば歩けないことはない。
歩きながら考えるのとベッドで横になって考えるのとでは思考の傾斜角度が異なる。
断然、人間は歩きながら考えるべきだ。
考えれば考えるほど雑念が生まれるのは当然で、歩きさえすれば、その必要のない思いや余剰思考をふるい落とすことができる。
今、寝泊まりしているアパルトマンはパリ6区、サンシュルピュス教会のすぐ裏手の、路地裏角地の建物の最上階で、いつも教会の尖塔を見上げながら、目が覚めている。
パリに移り住んだ約20年前(19年だけど)もこの近くのオデオンというところに住んでいた。
文化的な地域で、ソルボンヌ大学もあり、画廊街もあり、出版社も犇めく、ちょっとインテリな地域なのである。
でも、この辺りが素晴らしいのは、まさに路地、いりくんだ路地が迷路のようで、散歩をしても毎回発見の連続となる。
それから、よく知り合いとすれ違う場所でもある。
ボンマルシェ・デパートやモンパルナス駅も近いし、サンジェルマン・デ・プレも近いので、小さなブティックが犇めいていて、買い物をするのも楽しい。
高級ブランドのブティックもあれば、庶民的な服屋さんもあるし、無印良品などはここから広まった。
マビヨンという駅周辺には小さなカフェやレストランが犇めいて新宿3丁目みたいな感じになっていて、今はコロナで元気がないけど、以前は若者が夜中まで飲んで騒いでいた。
ぼくはオデオンが好きなので、ここを歩く。
大人の街で、アートの街で、小さなギャラリーが犇めきいあっていて、ウインドーショッピングならぬ、ウインドーアートを楽しむことが出来る。
友人の写真家、サトシ・サエクサが運営するダ・エンドというギャラリーがお気に入りで、サトシがいる時は、顔を出し、カフェで二人でアート談議にふけっている。
ぼくら20年来の大親友なんだけど、五島列島出身のサトシの変な日本語が懐かしい。
「最近、どうなの? 辻っちは?」
「まあまあ。そっちは?」
「画廊は大変だよ。なんでも大変だけど」
「ぼちぼち行こうか?」
「ああ、楽しいことを探して生きて行こう」
たまに顔を見るとほっとする奴である。
パリ左岸を歩きながら、ぼくはいつも哲学している。
古いパリの左岸を歩くと時代の亀裂に落ちるような錯覚に見舞われることもある。
こうしている間にも時間は過ぎている、と、誰もが思うが、時間が過ぎていることを示しているのは時計だけだ。
どうしてこの時間を人間がここまで信奉するのかよくわからない。
電波時計は毎日標準時刻を自動修正しているから狂わないのだそうで、そりゃそうだろ、と歩きながら口元が緩んでしまった。
アフリカのどこだか忘れたけれど、文明と隔絶された或る地域で生きる或る民族はいまだ昨日と明日が一緒なのだそうで・・・。
今を起点に一日離れているだけ。
時間は過去から未来へと不可逆的に動いている、と考えられてきた。
これは時間の矢という表現でいい表すことが出来る。
先のアフリカの民族は今を中心にした円で時間をとらえているのかもしれない。
この考えはとっても面白く、不可逆的だと思っていた時の流れが僕の中で変化する一つのきっかけとなった。
学生の頃、「覆水盆に返らず」という言葉がもっとも時間をよく言いあらわした諺だと思っていたが、映画を編集するようになってから、或いはレコーディングの逆回転技術などを多用するようになって、時間は不可逆現象ばかりが当てはまるとは限らない、と思うに至った。
詳しいことは学者に譲るとして、こういう愚かな発想を持って人生を振り返ると、生きるということはただ死に向かっているだけのものじゃない、という考えが付帯してくる。
そういえば、作家の日野啓三先生のお宅に何度かお邪魔したことがあった。
先生は欧州に時計台が出来たことで人間は今の規則的な社会を持つようになった、とおっしゃった。
そういえば僕は腕時計をずっとせずに生きてきた。
大学受験の時でさえ、腕時計をせずに試験を受けたものだから、時間配分もへったくれもなく、落第した。
その僕が先日、生まれてはじめて時計を買った。
やはりこうやってパリ市内を歩いていたら、ショーウインドーに針が一つしかついてない時計が飾ってあった。
時針も分針もない。1から12までのアワーマークの間が十分割されており、つまり、10分ずつに区切られている。
それを時針でも分針でもない針が指し示す。
だいたいの時間が分かるという仕組みで、流行りの電波時計をあざ笑うかの鋭さに感動してしまった。
この感覚こそが、人間が時間と対等になるために、本来持つべき知恵なのかもしれない。気が付いたら衝動買いしていた。
そのユーモアが僕を虜にして暫くの間その腕時計を離さなくなる(今は、引き出しの中)。
時間を茶化すというのか、時間に縛られないことを自慢できることが嬉しかった。
僕は時計をしないくせに作家生活30年の間で一度だけしか締め切りに遅れたことがない。
立派な腕時計をしている作家が、締め切りを守らない、のがおかしくてしょうがなかった。
何事も緩いくらいがちょうどいいのだろう。
とはいえ、新幹線が時間丁度にホームに滑り込んでくる時、僕は日本を誇らしく思う。
イタリアで時計とにらめっこしながら8時間列車を待ったことがあった。
僕はこの20年ほどの歳月を、パリ左岸で暮らしてきた。
20年前に最初に借りたアパルトマンはオデオン駅裏にあった。
その近くに僕の最初の出版社、メルキュール・ド・フランスがあった。
その後、仕事をしたフェビウス社も目と鼻の先だ。
出版社街と言っても過言じゃない。或いはパリで一番好きなカルチエ(地区)かもしれない。
気が付くといつもオデオンに立っている。
さて、時間が分からないので、僕は携帯を取り出した。画面に時刻が現れた瞬間、思わず相好が崩れた。
結局、時間に縛られない人間などいないのだ。
息子に昼めしを作る時間だった。
帰らなければ。時間を無視して生きることは今のところ難しそうだ。
それは社会と繋がっているせいもある。社会的な人間である限り、それはほとんどの人間に当てはまることなのである。
でも、考えてみたい。
その時間というものは誰が、いつ、なんの理由で、権利で決定したのか、ということを。欧州のあちこちに時計台が建立され始めた頃の世界を想像する。
日野先生と僕はそのことを遠い昔に議論しあった。
僕はエディターズカフェの前で空を見上げた。
雲の割れ目に僅かな青空が見えた。
あれはいつの青空だったのか、と考え、思わず眩暈を覚えた。
友人の写真家、サトシ・サエクサは2021年9月に急逝した。だけど、サトシとカフェで過ごした時間は僕の中で今も生きつづけている。