JINSEI STORIES
滞仏日記「ハッピーニューイヤー、2019」 Posted on 2019/01/01
某月某日、日本は新年になった時刻だが、フランスはまだ大晦日の夕刻である。フランスで生きる日本人だけれど、祖国が新年を迎えると気分はフランスを置き去りにして8時間早く更新されてしまう。だから、すでに今年(2019年)に頭を切り替えてしまった。僕の場合、ほとんどのことが過去になったらいったん忘れることにしている。たまにいいことも忘れる。というのはいつまでも浮かれていられないからである。いいことだって時とともに変化する。誰かに褒められてもその褒められた瞬間というのが持続することはない。褒められたことに胡坐をかいていると腕が落ち、成果も錆び始める。一喜一憂せずマイペースで前に向かうことが大事だと自分を戒める。悪いことはもっと素早く忘れていい。悪いことを引きずっても良いことはなし。悪いことは一番最初に消去しなければならない過去の遺物で、とっとと消し去るに限る。年を跨ぐこのような時期こそベストタイミングである。人生は短いのにそれをずっと引きずって生きて、いったいなんの役に立つだろう。舵をとれ。
しかし、その反対のことを一度だけ言われたことがあった。すばる文学賞を受賞した直後、選考委員の水上勉先生のお宅に招かれた時のことだ。先生が僕を推薦してくださったので、褒められるのだろうと思って上機嫌で出かけていくと、「君が書いたラストだけど、ヒカルを殺すのじゃなく、ずっと連れていかなければだめだよ」とおっしゃられた。「後悔することを引き受けて持ち続けることでこそ文学だったりする」というようなことだったと思う。腑に落ちたので十年後、確かに自分の処女作が恥ずかしくなって、その続編的な意味合いの作品「ピアニシモ・ピアニシモ」を書いた。もちろん、消し去った過去のヒカルが再度登場する。そして一緒に生きることになる。先生がおっしゃりたかったのは、なんでもかんでも過去を切り捨てるのではなく、それを持って生きる美学ということについて、じゃないか。それは20世紀の素晴らしい一つの教えでもあった。
ホーキング博士が亡くなる直前に興味深いことをおっしゃった。「神は存在しない。この宇宙は誰も監督するものを必要としてない」さらに対句に「長いこと、私のような障がいを持つ人々は神のわざわいの結果生きていると思いこまれてきましたが、実は全て自然の法則によって説明できるのです」がある。でも、ホーキング博士のこの言葉に僕は面白い驚きを覚えた。亡くなる直前の言葉だそうだが、僕はこれを博士の人類へのメッセージと受け取った。博士はずっと地球の将来について危惧を持たれていた。そして自分の生涯が終わろうとしていた。そこで、神はいない、というメッセージを人類に託した。神はないと言い切る博士の中に懸命な読者は神の存在を見ることが出来る。神がいるいないの議論が大事なのではないことをまず悟らなければならない。一般的な神というイメージではなく、まさにホーキング博士に「神はいない」と言わせている想像の背後に潜む自然の法則の中にこそ神がいる。博士がわざと言った言葉の中に、人類に託した強い愛を想像することが出来る。
まもなく、世界各地で新年がスタートする。21世紀も19年目になったということだが、ホーキング博士だけでなく、多くの人がこの星の将来になにがしかの憂いを持っているのも事実だ。しかし、僕にも不安や憂いはあるけれど、人間はきっと乗り越えられると信じて活動を続けていきたい。負のエネルギーに支配され、ネガティブな思考がこの世界を包み込んでも、人間は試されている。自分も試されていると思うことが大事だ。僕にとって2019年は小説家として30周年を迎える年というだけじゃなく、この世に生まれ出て60周年目の節目にあたる。60歳で人間は生まれ変わると言われているので、第二幕の始まりということになる。さてと、仕事場から愛を込めて。謹賀新年。