JINSEI STORIES
滞仏日記「旅の醍醐味」 Posted on 2018/12/27 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、結局、無事に飛行機は飛んで、僕たちはポルトガルに辿りついた。欧州と関わって17年にもなるけれど、イタリアやスペインやドイツやギリシャやイギリスやデンマーク、チェコ、トルコ、ハンガリー、オランダ、ベルギー、スエーデン、etcなどEU圏の主要都市をいろいろ父子旅してきた僕らが一番感じのいい都市と推薦できるのはポルトガルの首都リスボンかもしれない。リスボンのどこがいいのかと言えばまず人の良さだ。他の国の悪口は言いたくないけど、リスボンの人たちはみんな優しい。上辺だけじゃなく心がこもった優しさを有している。もちろん泥棒やスリもいるので十分に気をつける必要がるけれど、みんな日本が好きで僕らに日本語で話しかけてきた。日本語を使ってお金を巻きあげようとする輩とは違う。この辺は用心深いのですぐに見分けがつく。初日だけで、フェルナンド、アントニオ、アルミンド、フェリペと仲良くなった。彼らはみんな日本語を勉強していた。名前を聞かなかったけれど、レストランを紹介してくれた人や、電車の乗り方を教えてくれた人、お城への近道を教えてくれた人、缶詰屋の親切な店員さんなど、よその国ではありえない数である。なぜだろう、ポルトガル人の日本愛は半端ない。そういえば鉄砲伝来の外国人といえばポルトガル人だ。ポルトガルと日本との歴史的つながりは日本人が想像する以上に我々の日常に染み込んでいる。何か相通じる懐かしさを感じてしまう。ポルトガル料理といえばバカリャウ(塩鱈)やイワシ、タコをはじめとする魚料理だからだろうか。カステラやバッテラ、ブランコ、ボタン、カボチャ(南瓜)、カッパ(合羽)、カルタ、コンペイトウ(金平糖)、コップ、ジュバン(襦袢)、ジョウロ(如雨露)、ミイラ(木乃伊)、オイチョ、オンブ、パン、ピンキリ、シャボン、タバコ、など私たちに馴染みのある外来語はポルトガル発のものが多い。ありがとう、という言葉の起源がもしかすると「オブリガード(ありがとう)」に由来するという説があるくらいだ。日本人は西洋文化を間違いなくポルトガルから学んでいる。僕がはじめてポルトガルを訪ねた時、そのあまりの懐かしさに目元に涙が滲んだほどだったのだから。
今日、僕たちは朝から市内を歩き回った。アパートメントホテル(急だったので飛び込みで交渉して泊まれた宿)」の近くのカフェで朝食をとり、そこから歩いて海へ行き、丘に登り、旧市街を歩き、史跡巡りは嫌いだけど気がつけばその多くを観て回った。ふらりと入った土産物屋で僕らの会話を耳にした男がいきなり日本語で「日本人ですか?」と聞いてきた。「久しぶりに日本語を使った」と告白したのはモニというバングラディッシュ人だった。彼は栃木で12年も働いた。「日本人は世界で一番優しい人たちだ」と彼は断言した。もちろん、そういう美辞麗句には警戒心を持って接する僕だけど、彼はその後自分が生きた12年間を目を赤くして語った。なぜ日本で生きなかったのか、と問うと、ビザが下りなかった、だからここにいる、と言った。残念だな、と僕は思った。旧市街を歩いているとレストランの店員に呼び止められた。僕らは食後だったのでそこにはいけないと説明したのだけど、フェルナンドは日本がどれだけ好きか、を日本語で力説した。それが嘘じゃないと思ったのはそこに熱意があったからだ。日本の文化をリスペクトしていると彼は言った。彼だけじゃない。土産屋やレストランの店員も、出会う人たちはみんな日本のファンだった。海外で暮らす者としては鼻が高い。フェルナンドが言った。「日本とポルトガルは精神的につながっていると思う」が印象的だった。僕らはポルトガルとのつながりをもう一度呼び覚ます必要があるのかもしれない。アメリカやフランスばかりが外国じゃない。ポルトガルの首都、リスボンは文化度も高く、しかもセンスも味も負けない。親切心と人間味は世界一だと思う。僕はここで老後を過ごしたい、それほどこの国にはストレスがない。今は冬だけれども、これが夏だったら、きっともっと陽気で過ごしやすいことであろう。
僕はすぐに誰とでも仲良くなってしまう。息子は横で無防備過ぎる、と笑っている。でも、彼は最後にこういう。「パパは面白いね。恥ずかしいけど、個性的だと思うよ」しかし、懐に入ってこその旅だと僕は思うのだ。旅と旅行の違いは、決められたコースを歩くか、自分で道を切り開くか、の違いじゃないだろうか。旅をするのであれば、行き当たりばったりの方が断然に面白い。ガイドブックに載っている観光向けのレストランよりも、地元人たちに混じってその土地らしい料理に舌鼓を打つ方がいいに決まっている。それが僕の考える旅なのだ。息子よ、君はどう思う?