JINSEI STORIES
滞仏日記 「クリスマス・イブに思う僕の幸せの形」 Posted on 2018/12/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今年は息子と二人きりのクリスマスになった。新作小説が追い込みに入り、ここのところ執筆に集中していてすっかり忘れていた。慌てて在仏ユーチューバーのエモジョアさんに一緒にご飯しませんか? と連絡を入れたところ「友達の家で鍋パーティなんです。辻さんも息子さんと一緒に参加しませんか」と逆にお誘いを受けてしまった。僕よりもずっと人見知りの息子がひょいひょい行くわけがないので、嬉しいお誘いですが、と断ってしまった。他にフランス人の知人数人にSMSをしたが返事なし。今日の今日じゃあまりに計画性が無さすぎるし、フランス人にとってクリスマスは日本の正月のようなもの。どこの家庭も家族と過ごすことになっている。だから僕らのアパルトマンが入った建物は子供の泣き声一つ、足音一つしない。みんなご両親の家とか田舎の家で家族水入らず過ごしているに違いない。昨夜は通りが珍しく真っ暗であった。親戚がフランスにいない息子が退屈そうにしているので、ちょっと可哀想になった。あ、クリスマスプレゼント!!!
息子にフナック(日本のヤマダ電機のようなところ)に行って好きなものを買えばいい、と告げると彼はすっと紙切れを差し出した。「FL studio20とShaper box」と書かれてあった。どうやら音楽編集ソフトとエフェクターソフトらしい。「ほら、おとといもっと僕の曲聞きたいって言ったじゃない。必要ないものを貰いたくないし、僕が嬉しいことがきっとパパも嬉しいだろうと思ってリストにしておいた」というので笑った。でも、買いに行かなくて済むので有難い。ところがネットで購入したらこれが目の玉が飛び出しそうなほど結構な金額であった。(ちなみに今までは無料ソフトを使っていた)「だって、アヴィーチーとかプロのミュージシャンが使ってる機材だもの」というよくわからない言い訳が戻って来た。でも、嬉しそうだ。地下室に降りて、クリスマスの飾りつけグッズを探し出し、玄関口に飾った。クリスチャンじゃないので、プラスティックのクリスマスツリーだった。母親手作りのオーナメントを飾った。母さんは元気かな、と毎年これを見るたびに思いだす。85歳になる。長生きしてほしい。
サロンでスティングのEnglishman in New Yorkを歌っていたら息子がやって来た。「曲を作ったので聞いてほしい」という。「もう作ったの?」彼は口元を少しだけ緩めて得意そうな顔をしてみせた。さっそく彼の部屋に行き、(ちょっとしたスタジオ風になっている。ここに顔を出すのが僕の息抜きでもある)マーシャルのヘッドフォンを被った。僕のライブの音源(シティ・ライツという曲)を一部サンプリングしてアシッド系のクラブサウンドにアレンジしてあった。「いいじゃん、凄いじゃん」ほんとうにかっこいい。機材がよくなって、音に幅と厚みが出ている。もう時代が違うのだ、と思った。で、父親にしてあげられることは何だろうと思ったので、走って再び階段を駆け下り、地下室にしまっておいた古いベースギターとアコギと小型アンプを引っ張り出した。「これもクリスマスプレゼントにあげるよ」息子がまた口元を半分だけ緩めて微笑んだ。この子はそういう感情の見せ方をするのだ。「一緒にスティングを演奏しようか」先日、ちょっとだけギターを教えた時にこの子が習いたがっていることを見抜いた。彼のベッドに並んで腰かけ、僕はギターを持ち、彼はベースを抱えた。様になってるじゃん、と煽てると、また半分だけ口元を緩めてニコっと可愛らしく笑った。クリスマス・イブに父子は子供部屋のベッドの上でEnglishman in New Yorkをセッションした。子供部屋の窓の外に隣の建物の窓が見える。ささやかな植物が飾られてある。淡いクリスマスの光りがそこに降り注いでいる。幸せというものは欲張らない時にすっとやって来て寄り添うこういう優しい光りのようなものじゃないか、と思った。14歳になった息子と一緒に音楽を演奏できること以上の幸福はない。日々はそれなりに辛い人生の連続だが、時々、神様はこうやってギフトをくれる。人生の80パーセントは大変、18パーセントくらいはまあまあなんだと思う。残り2パーセントを僕は幸せと呼んでいる。最高より、まあまあ、がいい。毎日、まあまあ、欲張らずのんびり生きていたい。それが僕にとっての幸せなのだ。僕も息子を真似て口の半分だけを緩めて笑ってみせた。おっと、友人のフランス人画家からやっと返事が届いた。「ムッシュ、ツジ、イブはどうしているの?」僕は「今夜は息子と二人きりのクリスマス・イブですが、でも、まあまあ幸せにやっていますよ」と戻しておいた。
メリークリスマス!