JINSEI STORIES
滞仏日記「ポンテ・ヴェッキオ橋から遠く離れて」 Posted on 2018/12/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、フィレンツェのドゥオモに登ろうとしたのはいいが、前もって予約をしてないと登れないことに気が付き慌ててネットで買おうとしたのだが、当然、売り切れていた。これはあまりに行き当たりばったりな旅の結果だと猛省することになる。けれども旅なんてそんなもので、そもそも僕はいつもこういう行き当たりばったりの気まぐれ旅を楽しむ癖がある。そもそもガイドブックに書かれた史跡巡り中心の旅行なんか大嫌いだ。何も決めないでリュックサック一つで歩き回る旅が自分らしい。旅行じゃなく、旅である。有名な場所ではなく、ホテルの周辺の半径数キロをあてもなく歩き回るのが実に面白い。付き合わされる息子はたまったものじゃないようで、一人で行って来なよ、と最近はつれない。ともかく、ドゥオモに登れないことをここまで正当化する自分に呆れてしまうが、なんとか翌日の予約をゲットすることが出来た。仕方がないので今日は尖塔を見上げて過ごすことになる。
じゃあ、僕はいったい何をすればいいのだ? 冷静と情熱のあいだで取材した場所を訪れるなんてことには興味がない。料理好きな僕は当然うまい地元の料理を食べに行くことになる。イタリア語は話せないが地続きなのでフランス語を喋る人たちは大勢いる。そういう地元の人をカフェとか広場とかブティックなんかで見つけ出し、お勧めのレストランに出かければいい。間違えてもホテルでは絶対に訊かないことにしている。必ず一族が経営するレストランなんかを紹介してくる。不味くはないが客は観光客ばかりで感動はない。ふらっと覗きこんだ衣料品屋さんのセンスのよさそうな女性に、口説こうと思ったわけではないけれど仲良くなって、教えてもらったレストランを訪ねたら残念なことに観光客向け食堂であった。だいたい座ってる客の顔つきやその持ち物や荷物でわかるから、そこはスルーして、隣のスタンド風のエノテカ(ワインバー)に入った。決め手はカウンターの端っこにどんと置かれてあった豚の頭とか熟成肉とか・・・。それと一番奥のテーブルを占拠している地元のおやじたち。バカでかい声で昼間っから飲んだくれているフィオレンティーニ。ここは間違いない、と直感した。明らかに近くの住人だと分かる出で立ち、持ち物、でかい腹、言葉遣い、飲みっぷり・・・。ここは美味いに違いない! まずはいきなり注文しないで世間話なんかをする。僕が話す英語もフランス語もだいたい同じレベルだから、ここはあえてフランス語で攻めることにした。隣国だから多少は通じる。この多少通じるくらいがちょうどいい。身振り手振りを交えながら知ってるイタリア語や英語と混ぜて話すと、あまり上手ではない他所の国の言語を介して、一生懸命理解しようとする気概が、お互いを引き付け合う接着剤となる。相手の心が見えたら後はなんでも上手くいく。最後は気が付いたら奥のテーブルのおやじたちと大声で語らい合い一緒に飲んでいた。こういう才覚を何と言い表せばいいのか分からないが、人が絶対入れそうもないバーとかカフェとかで物怖じしたことがない。それこそが辻流の旅だと思っている。そこで出会った食べ物はまずポルケッタと呼ばれるローマの焼き豚、これは絶品だった。フランスの市場でもたまに見かけるし、一昨日日記に書いたローマ人の生ハム屋でもたまに入荷するのだが、まさにここのは本場、油がのっていて実に美味であった。味の方は日本一旨いラーメン屋さんのチャーシューだと思えばいい。ローマがそもそも発祥の地ということになっているが、隣接するフィレンツェのポルケッタはさらにジューシーで最高であった。これとトスカーナの赤ワインとの相性が抜群で、もう顔は緩みっぱなし。結局、そこで数時間も過ごすことになる。
気が付くと夜だった。仕方がないからアルノー川まで歩き、小説「冷静と情熱のあいだ」の舞台となったポンテ・ヴェッキオ橋を遠くから眺めることになる。あまりの観光コースなので、言ってることとやってることが違い過ぎる恥ずかしさから接近するのはやめて、数百メートル離れた場所から20年前の江國さんの顔なんかを思い出しながらそっと眺めることになる。20年前と何一つ変わらない、当時のままの橋がそこに存在した。変わらないことがこんなに素晴らしいと思うことがあるのだ。なんでもかんでもモデルチェンジを繰り返す大都市の軽さを軽蔑する。光りの具合も、シルエットも、そしてそこを訪れる世界中の観光客の顔までもが、いつまでも変わることのない永久不変の美しさを醸し出していた。明日はいよいよフィレンツェのドゥオモに登る。そこも間違いなく20年前のままであるに違いない。いや、20年どころか、どちらも何世紀も前からこの佇まいなのである。生きていてよかった、と限りある人生を生きる僕は思うのだった。