JINSEI STORIES
滞仏日記「冷静と情熱のあいだから20年」 Posted on 2018/12/15 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子が親友の家に泊まりに行くというので思わぬ時間をギフトされてしまった。ふらりと一人旅したいと思っていたのでちょうどいい。全ての仕事を来週にずらして、(直ぐにずらせるのは作家だから)僕はフィレンツェへ向かう飛行機に飛び乗った。フィレンツェといえば拙著「冷静と情熱のあいだ」ということになるが、出版されたのが1999年だから、約20年ぶりのフィレンツェだ。その間、僕は一度もフィレンツェを訪れていない。パリから僅かに一時間半で行けるというのに、何が足を遠ざけさせていたのであろう。江國香織さんと取材で訪れたのは芥川賞を受賞した直後のことだったから1997年である。だから、正確には21年ぶりのフィレンツェということになる。主人公の順正とあおいが実在していたなら40代の半ばに差し掛かろうかという年齢。どんな大人に成長しているのだろう。もしかしたら彼らに会えるかもしれない。不意に、そんなことを考えてみた。これは面白い。であるならば、もう一度、あのドゥオモに登ってみたい。登ろうと思えば登れるじゃないか、と僕は想像し歓喜した。行きたいと思う時に行かなければ二度と行けない場所というものがある。よし、出かけてみよう。
フィレンツェに向かう飛行機の機内で21年前のことを思い出した。野球でもサッカーでもチームでプレーをするのだから小説だってチームで書いたっていいんじゃないか。そんなことをたまたま下北沢のカフェで同時代の作家、江國香織さんと話し合った。そのことを角川書店の編集者さんに伝えたところ、ぜひ、やりましょう、ということになった。当時、本多劇場の上に僕の仕事場があってみんなで集まってわいわいと計画を練った。ちなみにこの小説のタイトルは江國さんと僕が内容について議論している時に決まった。江國さんが主人公たちの性格について語っていた時にそのフレーズが飛び出した。僕の頭の中に何かがひっかかったので、その言葉を甘噛みしながら数分考え、「冷静と情熱のあいだ」というタイトルはどうかな、と提案してみた。すると江國さんが「辻さん、冴えてる!」と笑顔になった。でも、実は江國さんの言葉から拝借したタイトルだったのだ。いいタイトルというのは編集者とのミーティングや、誰かと話し込んでいる最中、すれ違った見知らぬ人たちの会話の中なんかに潜んでいる。注意深くしていると宝石を手に入れることが出来る。
けれども、21年ぶりに降り立ったフィレンツェの印象は僕の中にあったあの小説の中の街のそれとはちょっと異なっていた。20年の歳月が流れているのだから当然である。でも、当時の印象よりももっと素敵な街に成長していた。欧州で暮らしだして17年の歳月が流れている。その間、訪れた街がないくらい息子とあちこち旅してきた。なぜか、フィレンツェだけを避けて。一巡して戻って来たこの街に僕はほとんど期待もしていなかった。ところがフィレンツェは僕にもう一度新しい想像と感動を届けてくれることになる。旅客機のタラップを降りて、ペレトラ空港を見回した時、そこに流れる冬の風が僕の胸を締め付けてきた。戻って来たのだ、とタクシーの中から見回す旧市街の景色を眺めながら僕は思った。石畳の街角に順正とあおいがいた。僕は慌てて振り返った。二人は手をつなぎ、アルノー川のほとりを歩いているではないか。あれから20年、時は流れた。もう一度、登らなければ、と思った。約束の場所でもあるあのドゥオモに。
フィレンツェ市内に到着した時は夕刻であった。英語名ではフローレンスという。どちらもとっても素敵な名前じゃないか。ホテルにチェックインし(荷物は小さなリュック一つだけ)外に出ると、もうすっかり陽が落ちていた。僕はオレンジ色の街灯が路地を淡く浮かび上がらせる旧市街を散策した。地元の人たちや観光客が大声で騒ぐワインバーでトスカーナの赤を浴びた。外に出て息子にイタリアの夜の感動を伝えようと携帯を取り出した。すると不意に狭い路地と路地の間、その真正面にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の尖塔、つまりあのドゥオモが出現したのだ。僕は驚き、鳥肌が走りぬけるのを覚えた。この感動を今自分が生きている間に誰かに伝えたいと思った。