PANORAMA STORIES
佐伯幸太郎の美女と美食三昧 「Le SUSHI OKUDA」 Posted on 2016/11/16 佐伯 幸太郎 ライター パリ
標準的な男という生き物には下心というものが少なからずあってね、もちろん、俺にだって人並みにはあるよ。
でも、紳士というのはつまり下心を上手に隠すことの出来る男のことをいうんだ。
「どうしても本物の寿司を食べたい」とステファニーがいうものだから、自信をもっておすすめできる「Le SUSHI OKUDA」に彼女を連れて行くことにした。
カウンターの七席のみ、こじんまりしているけど、ここがパリかと見紛うばかりの日本的風情と佇まい、まずは申し分なし。
ステファニーは一般のフランス人とはちょっと違って、本物の寿司とそうじゃない寿司の違いくらいは心得ている。パリの寿司屋のほとんどが外国人経営。店によっては馬鹿でかい日の丸なんかをぶら下げてる。
ステファニーはそういう店には絶対に踏み入らないタイプの美食家だ。
でも、日本に行ったことがないので、最高の寿司をまだ知らない。
まかせておけ。今日は銀座に引けを取らないパリの寿司屋に連れてってやる。なぜだかわかるかい、ステファニー・・・。おっと、いけない。下心下心。
寿司が登場する前に、アントレ(前菜)が三品。あくまでメインが寿司だから、焼き物まで含めて、前菜なのだ。
これらは隣のミシュラン一つ星店、割烹奥田から届けられる。
最初が季節のキノコ5種で彩られた鶏肉の茶碗蒸し。次にシャラン産鴨の治部煮。石川県金沢の郷土料理だ。鴨に塗られた下粉がとろっと口当たり良くてさ、なんだか鴨肉ってエロスなんだなぁ、とつくづく思わされる一品。肉の旨味が閉じ込められていて、噛めば噛むほどジューシーで、いろいろ想像してしまう。
見事なゴボウのささがきと白髪ねぎ、黒七味が鴨の美味しさを引き立て、それを食べるステファニーの横顔がまたたまらなくセクシーでさ、俺はどうしようか、と思った。
「コータロー、これなに? すっごく風味があって、とろける美味しさ」いちいち、可愛らしいフランス語で訊いてくるものだから、余計なこと想像しちゃって、その、なんだか落ち着かない。
で、前菜の最後が炭火で焼かれた鯛の幽庵焼き。
メインの鯛を囲む畳鰯のパリパリとした食感、金柑の甘み、すっきりした紅心大根の酢漬けが全体をぐっと引き締め、飽きさせない一皿なんだけど、そんなことはもはやどうでもよい。
ステファニー、美しいお前が横にいるものだから、俺にはこの素晴らしい料理が口には入っても、心には届かないんだよ・・・。
そうだ。美女を酔わせるには美酒に限る。俺は竹野内豊似のソムリエに「あれをだせ」と催促した。
美女をいちころにさせる美酒「松の司」だ。
ソムリエ君が「すっきりした辛口で、シャリの甘みを邪魔しません」とフランス語でひけらかすものだから、
「俺の恋路を邪魔するな」と日本語でこっそり通達しておいた。
ステファニーがハンサムな青年をじっと見ている。おい、あっちへ行け。邪魔するな、恋路。
銀座「逸喜優」や「太一」などで修業を重ねたという若い板さんが笑顔を絶やさず握り始めた。
いよいよ本番である。
思えば人生はつねに本番しかなかった。むしろ人生は本番に向かうための前菜なのだ。
下心というものはネタの下に隠されたシャリみたいなもの。
でも、実はシャリこそが寿司屋の価値を決定づける。
俺がこの店に通うのには理由がある。
ここは魚との相性によって、赤酢と白酢をまとった二種類のシャリを絶妙に使い分けている。
酒粕を発酵させて作った赤酢は赤身や〆もの、穴子など、存在感と力のある魚に、白酢は白身や淡白な魚に使われている。酸味と塩気、甘み、硬さ、温度、ともにそれぞれの魚との相性は抜群。
一言で言うならば知的なアタックだ。
けれども下心のような押してばかりの強引なアタックじゃなく、幾重にも行っては戻る人間の心の機微のようなアタックである。
「コータロー、ここ本当にすごいよ。本物の寿司は天才だね」
ステファニーは寿司を口に入れるたび、可愛い悶絶を繰り返した。
スズキは白酢、皮面を軽く炙ったヒメジも白酢、中トロは赤酢、皮面を軽く炙った絶品しめ鯖も赤酢、いわし酢漬けは赤酢、あさりは白酢、かつおは白酢、あなごは赤酢、まぐろの巻きも赤酢、仕舞いが玉子であのアタックのある酢のことを甘く忘れさせてくれた、見事な十貫、十絶であった。
いやはや、よく食べた。
デザートのあんみつを注文する段になって、ステファニーの携帯が鳴った。
ちょっと電話してくる、と言い残して彼女は慌てて外に飛び出した。携帯は切っとけ、この野郎。
嫌な予感がしたけれど、俺は下心を隠して待ち続けた。戻って来たステファニーが申し訳なさそうな顔をしている。
何かいろいろと言い訳をし始めたので、大丈夫だよ、人生というものは常に予期せぬことの繰り返しなんだ、と俺は仏のような笑顔で告げたのだった。この大バカ者。
みなさん、最初に申しました通り、下心を隠してこその紳士なのです。
Posted by 佐伯 幸太郎
佐伯 幸太郎
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ライター。渡欧25年のベテラン異邦人。ワインの輸入業からはじまり、旅行代理店勤務、某有名ホテルの広報を得て、現在はフリーランスのライター。妻子持ちだが、美しい女性と冒険には目がない。モットー、滅びゆくその瞬間まで欲深く。