PANORAMA STORIES
イギリス人が11月に花火を上げる謎 Posted on 2018/11/04 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
10月最後の日曜の朝。ラジオを付けると「寝坊したみなさん、ご安心を。夏時間が終わったので、1時間よけいに寝たとしても大丈夫」と、毎年恒例のせりふがきこえてきました。
家のあちこちの時計を1時間戻しながら、冬がすぐそこまで来ていることを実感します。夏時間は生活リズムが狂うことなどから不評で、EUでは廃止の方針ですが、私は年2回の時計合わせを、季節を感じさせる年中行事としてひそかに楽しんでいます。
夏時間が終わると夕暮れが早まり、そして秋が一気に深まるよう。澄んだ太陽の光で長い影ができ、風に吹かれて道端にたまった枯葉がかさかさと音を立てます。レンガの家並みに色づいた木々が映えて、ロンドンが一番ロンドンらしい美しさを見せる季節です。
そして、イギリスで時計合わせよりも好評な晩秋の行事といえば、11月5日の「ガイ・フォークス・ナイト」の花火大会です。
その起源は1605年11月5日、英国王ジェームズ13世の政治に反対していたカトリック教徒のガイ・フォークスが、上院議会を爆破しようと火薬を仕掛けたのが発覚した事件でした。その後、国王の無事を祝福してロンドン市民がかがり火をたいたそうです。
ガイ・フォークスは、ロンドン塔に投獄され、やがて議会前で処刑されました。夏目漱石は、渡英中にロンドン塔を訪れた体験に基づく短編「倫敦塔」の中で、ガイ・フォークスの幻を描いています。
帰り道に又鐘塔の下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻の様な顔を一寸出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。
17世紀以降のイギリスでは、11月5日にガイ・フォークスやローマ教皇をかたどったわら人形が燃やされ、19世紀に入ると一部の都市で暴力にも発展しました。漱石がロンドンに留学した19世紀末にはそうした側面は薄れ、子どもたちがガイ・フォークスの人形を引き回し、花火やかがり火を楽しむ慣習だけが残っていたようです。
不名誉な歴史がありながら、4世紀を経てなお「ガイ・フォークス・ナイト」が盛んに祝われているのは興味深いところ。晩秋の花火が、「暗い季節を少しでも明るく迎えたい」というイギリス人の願いにかなっているからかもしれません。11月5日前後にはイギリス各地で一斉に花火大会が開かれ、ロンドンでも高台や高層の建物に上ると、街のそこかしこで大小の花火が上がっているのが見えます。
きりっと冷えた夜空を切り裂くように上がる花火は、漱石の「稲妻のような顔」という表現を思い出させます。日本の浴衣がけの花火大会とも、フランスにバカンスの到来を告げるパリ祭の花火とも、違った風情です。
ロンドン北部の日英家庭に招かれ、寒風が吹きすさぶ屋上で子どもたちの歓声に囲まれて眺めた花火は、とりわけ楽しい思い出です。11月最初の週末をリバプールで過ごし、公園の温室で室内楽をBGMに見た花火は雰囲気満点でした。娘が生まれて眺めのいいフラットに引っ越してからは、自宅の窓からの花火鑑賞が、わが家の伝統になりつつあります。
昨年より重くなった娘を抱っこして、近くの公園で上がる花火やテムズ川沿いの遠花火を眺めたことを、これから11月が来るたびに私は懐かしく思い出すはずです。3歳の娘はすっかり忘れてしまうでしょうけれど。
毎年、11月の花火を眺めていると、これまでにガイ・フォークスの花火を見たシチュエーションや、そのとき隣にいた人が頭に浮かびます。そして実感するのは、同じ季節が繰り返しめぐってくるようでいて、年月は確実に流れていくということ。まるで夜空に現れては闇に飲み込まれる花火のように、すべての光景は、一瞬の輝きを見せ、やがて消えていきます。
人生のさまざまな情景は、私には「走馬灯のように」ではなく、「11月の花火のように」思い出されるのです。
参考文献 出口保夫・アンドリュー・ワット編著『漱石のロンドン風景』(中央公論社)
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。