PANORAMA STORIES
仰天! パリの引っ越し Posted on 2018/09/22 辻 仁成 作家 パリ
パリの街を歩いていると、たまに日本では見かけない奇妙な引っ越しの光景と出くわす。小型のはしご車が地上から歴史あるお馴染みのパリの建物の上階へとはしごを伸ばし、驚くべきことにソファとか棚とか机とか段ボール箱などを上げているのである。はしごは厳密にいうと数段に分かれており、ようは消防車と同じ原理で、油圧式シリンダによって、ウインチでワイヤーを伸ばしたり縮めたりしているみたいだ。
何故驚くかというと、引っ越し専用のはしご車には消防車のような人が載る高所作業バスケットはなく、荷物を載せるだけの平たい簡素な台がついているだけ。
この平たい台が凄い。はしごの真ん中に設置された平たい台はモーターを使って急傾斜したはしごを登っていく。車で言えば、タイなどで走っているトゥクトゥクレベルの簡易さで、台には三枚の羽根がついており、(ワイヤーで固定されたはしご側だけ羽根がない)たとえば段ボール箱を中に置くと、落ちないように三枚の羽根を起こして柵を作りガードしながら荷物を上げるのだけれど、ソファとかテーブルだと左右の羽根を伸ばした状態にしないと載らないので、驚くべきことに、羽根を全部広げて面積を確保した上でそこに巨大な家具などを載せ持ち上げている。しかも、ロープとかで固定するわけでもなく、そのままポンと置かれているだけなのだから、凄い。たぶん、いちいち固定していたら時間がかかりすぎるからであろう。それに上に着いた時にロープを外すことも現実問題として難しい。その不安定感が日本人からすると驚きなのである。
もっと驚くのは、はしご車は車道からはしごを伸ばしているのだけれど、その下を普通に通行人が往来している。段ボール箱一つでも落ちたら大惨事間違いないのだけど、これがパリの一般的な引っ越しの光景なのであった。
知人が上の階に引っ越すというので今回取材させていただいた。下から眺めたことは何度かあるが、上がってくる荷物を上の窓から眺めるのははじめての経験となった。
まず、はしご車を数人がかりで車道の端に設置するところからはじまる(いや、厳密に言うなら、早い時間から場所を確保するための場所取り要員がいるようだ)。はしご車の設置には小一時間を要した。アウトリガーと呼ばれる車体が倒れないようにするための脚立のような脚がはしご車の左右から出ている。はしご車をしっかり固定するために正確な角度を測らないとならない。
それが終わるといよいよはしごが伸びはじめる。今回は5階まで荷物を持ち上げるために何段もついているはしごが使われた。ウインチで巻き上げワイヤーが一つ一つのはしごを伸縮させている。伸びてきたはしごを上で待つ作業員が手で掴まえ、窓に固定するのだけど、はしごの先端には小さなタイヤがついておりそのタイヤにロープを巻き付けて窓枠の手すりに紐で括りつけてお仕舞い。
正直、「え? これだけ?」と驚いてしまった。荷物が上がってくる様は壮観だけど、正直、あまりに不安定なのでドキドキする。
一番ハラハラしたのが到着する時だ。荷台は一番突端のところで一度ガクンと揺れながら停車し、この辺はジェットコースターが不意に山の頂上で停車するときのあのガクンと一緒であった。そこからいわば勘で少しずつガクガクと荷台を下の作業員が目見当で手動と勘で動かす。上の階で待ち受けている二名の作業員が窓から身を乗り出して、近づいてきた荷物をかっさらうように中に入れるのだけど、ソファとかテーブルとか棚のようなものはいつバランスを崩して落下してもおかしくないような感じで、その光景はあまりに恐ろしく、私は何度も目を瞑ってしまった。そのはしご車の下を近所の子供たちが通行しているのだから。
部屋の大きさにもよるが今回私が見学をしたのは若いご夫婦の引っ越しで、部屋は小さなリビングと寝室とキッチン程度、設置から約4時間ほどで終了した。手際がいいし、相当な力仕事だけど、業者さんは楽しそうに仕事をしていた。
パリを歩いている時にこの光景に出くわしたなら、できれば、はしご車の下は歩かない方がいいと思う。私は絶対歩かないと決めた。一度、段ボール箱から小銭が落下したのを目撃したからだ。
コインが地面にぶつかり、チャリーンという音が一帯に響き渡った時、私は絶対この下だけは歩くまいと心に決めたのである。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
▷記事一覧Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。