PANORAMA STORIES
エアーフランスのパイロットをやめてはじめたラーメン屋が大人気! Posted on 2022/07/09 辻 仁成 作家 パリ
パリで大人気のラーメン屋さんをご紹介したい。
とはいっても、オーナーは日本人ではない。なんとエアーフランスのパイロットだった人が日本のラーメンにとりつかれて、パイロットをやめてはじめたラーメン屋さんなのである。
しかも、パリで今や1,2を争う大人気店に成長してしまった!!!
味もなかなかいけるのだけど、その佇まいや発想が面白い。
日本人からすると、「え?」と思う部分も多いのだけど、刺激的なのに、なつかしい、パリでしか味わえない不思議なラーメン店なのである。
パリ6区、オデオンといえば2001年にぼくがはじめてパリで暮らした地。そのオデオンのギャラリー街にあるラーメン店、その名も「こだわりラーメン」!
正直、出来たばかりの頃は賛否両論であった。
美味しいかどうかと言われれば在パリ日本人間ではいろいろ意見が分かれていたのだが、私の友人の映像作家であり自称ラーメン通の小田光氏、最初は懐疑的だったが最近は「煮干し白湯ラーメンは他では食べられないし、そのためだけに通う価値のある美味しいラーメン屋です」と絶賛に転じているし、当サイトでも同じみの料理ライター佐伯幸太郎に至っては「いや、ありゃ普通にうまい。しかも懐かしい。パリで荻窪風醤油ラーメンが食べられるなんて有り難い。ともかくフランス人には間違いなく受ける味だよ」と賛辞を惜しまない。
コロナ禍以降、ぐんと腕をあげ、しかし、うるさい日本人たちをも、次々の絶賛に展示させているのだから、面白い・・・。
とにかく、この店の成り立ちからして、面白いのである。
そう、ここのオーナーJBはフランス人、しかももともとエアーフランスの超エリートパイロットであった。ところが仕事で訪れた日本でラーメンの虜になり、あっさりパイロットを辞め、東京中野にある地雷源の創業者鯉谷氏に師事した。それから数年の修業の後、ついにオデオンに「こだわりラーメン」をスタートさせたのである。
手打ち麺ではないが、欧州の契約農家から取り寄せた小麦を原料に店の地下にある製麺機で毎日作っている。縮れ麺でもないし、博多ラーメンのようなコシもない。昔の屋台風ラーメンに感じが似ている。ちょっと太くて歯ごたえのある麺。スープにとくにこだわりがあるようだ。厨房を任せられている日本人、太田寅吉がこう告げる。「JBが醤油ラーメンにこだわるのには深いわけがあるんです。醤油ラーメンこそが日本のラーメンの原点だと疑わないからなんです」荻窪で暮らしていたことのある小生はここで唸ってしまった。「醤油ラーメンのシンプルさはつまり素材を活かす力が細やかさが技量が作り手に求められます。JBはそこにラーメンの王道を見ているのです」なるほど、このシンプルなスープがフランス人にも受けているのであろう。確かに、変な言い方だけど、オニオンスープに通じるわかりやすさがある。開店と同時に長蛇の列ができるほどの人気店で、残念ながらこの行列は閉店まで途切れない。玉ねぎが多用され、ちょっと甘めのスープだが、そこがフランス人に受ける理由の一つであろう。
そして、何より、JBのようなエリートパイロットが職を捨てて日本のラーメンを本格的にフランスで手掛けようと思い立ったところが面白いと思った。デザインストーリーズにぴったりの話じゃないか。日本には昔から本格的なイタリアンやフレンチレストランが存在している。パリで暮らす小生だが、日本の味覚に慣れているせいもあるけれど、日本で食べる欧州料理の方が口に合ったりする。パリのレストランの厨房には大勢の日本人が働いていて、彼らの繊細な技術がこちらの料理界の少なくとも動力の一つになっている。十年以上前、「日本人はタダで働くから雇ってる」みたいな風潮がフランスの高級レストラン業界にはあった。はっきりとそれを口にしたシェフもいた。でも、今は当てはまらないだろう。日本人の食における技術はトヨタ車並みになった。しかし、その逆はどうか。フランス人は寿司が大好きだが、本物のフランス人寿司職人にまだ会ったことがない。パリの寿司レストランのほとんどは中国を筆頭とするアジア系の店だ。美味しい店もそれなりにあるけれど、日本人としては魚のしめ方やしゃりの硬さ、酢のバランスなど納得できないものが多い。そんな中で出会ったのがJBだった。フランス人でも本格的なラーメンを作ることができることを証明したいのであろう。
「こだわり」という日本語を店名にするくらいのこだわりようで、一歩店の中に入ったら、誰もが驚くこと間違いなし。
ただ、ひとこと、申すならば、実は、「こだわり」という日本語は本来、悪い意味で使われていた言葉なので、本来であれば、「こだわりラーメン」というのは日本語的にはあまりよろしくないのだけど、しかし、言葉も時代と共に、変化するものなので、日本人でさえもその語源を知らない人も多いので、ま、・・・いいですね。
とくにユニークなのは、内装。
銀座や有楽町にあるような居酒屋空間がそのまま再現されている。なんでもフランス映画界で活躍する美術家に依頼し作り込んだのだとか。そこには小津安二郎の映画に出て来るような東京の風景が広がっている。こう書くと読者の皆さんの頭の中にディズニーランドの映像が思い浮かぶかもしれない。そうじゃない。銀座のガード下かと見間違うような細部まで徹底的に作り込まれた昭和の東京風景なのである。それだけでも一見の価値がある。ぜひ観ていただきたいのは、二階のトイレだ。懐かしい赤い公衆電話があり、デートクラブのビラが張り付けられてある。彼がこだわりたかったのは昭和を生き抜いた東京の醤油ラーメンなのであろう。まさに荻窪ラーメンとかそういうものを再現したかったのだろう。いまのところはまだ、フランス人の味覚を通して再現された醤油ラーメンであることも否めない。でも、小生はそれを美味しいと思う。確かに日本で食べるものとはちょっと違う。しかし、たとえば「壁の穴」なんかがはじめた和風スパゲッティのおいしさに通じるものがあるのじゃないか。こう書くとJBは怒るだろうか?
実はフランスにも美味い蕎麦屋がある。しかし、日本から蕎麦粉を輸入している。それでも同じ味を再現できないのは水に違いがあるからだ。日本の水は軟水、フランスは硬水。この差は大きい。日本に帰って食べる蕎麦はやはりうまい。料理というものはその土地で育まれて根付いてこそ美味いのだ。しかし、あえて言えば、JBの挑戦はそれも含めてフランスで生まれた日本ラーメンを作ることじゃないのか。小田光や佐伯幸太郎のようなうるさい人間が、最初の頃はちょっと馬鹿にしていたくせに、最近は、あれはあれで美味いと言い出し行列に並んでいる。JBが中途半端に日本を真似ていない証拠でもある。日本で進化したイタリアンやフレンチのような感じをイメージしてほしい。今、フランスにおけるフランス人発の和食は「お弁当屋さん」にしても「ラーメン屋さん」にしても黎明期にあるようだ。きっといつか「こだわり寿司」や「こだわり鍋」「こだわりとんかつ」店なんかが出て来るに違いない。この運動は見守る価値がある。
そして、コロナ禍の直前に、日本人経営のラーメン店犇めくパリ一番の激戦区、オペラ地区に進出し、これまた大成功を収めている。
こちらは店内の内装が、なんと、築地市場をイメージしているというのだから、どこまでも、面白い発想なのである。
JBは今や、このラーメン激戦区に爽やかな風穴をあけることが出来た。
彼の次の展開が楽しみである。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。