PANORAMA STORIES
「崖」について Posted on 2016/10/21 千住 博 画家 ニューヨーク
私は今、崖の制作をしている。
そもそもは、ベネッセコーポレーションの福武總一郎会長(当時)から、2005年頃ベネッセアートサイト直島の為に「“日本発”の現代絵画を」というご提案をいただいたことに始まった。私としては、それが1995年にベネチア・ビエンナーレに出品した滝のシリーズであった。日本絵画は“水性”という大きな特長を持つ。この水性という特長を十全に生かした表現として、自然の側に身を置き、絵の具を上から下に重力に従って流すという手法をとった作品だった。ここに西洋モダニズムとは違う日本の美がある、と思った。しかし私は福武会長に触発され、更に新たな可能性を求め続けた。そしてそれは“和紙”にかかわることではないかと思うに至った。
和紙は洋紙と違い、揉んでも水をかけても、そして沸騰した熱湯をかけても破れない。
つまり、かなりめちゃくちゃな技法にも耐える。私は和紙を揉み、しわのある上から荒い岩絵の具を流してみた。するとそこに崖の表情が生まれた。
2011年、東日本大震災があり、改めてこの技法の重要性に気が付いた。自ら付けてしまった傷、付いてしまった傷を直視し、その中に美を見出す。つまり現実を直視し、積極的に負の遺産にかかわっていく発想が、原発事故や震災後もその地で生きていかなくてはならない人々に対しての、芸術からの激励になるのでは、と感じたのだ。
崖の作品の第1作目の初公開は、そのような訳で2009年にベネッセアートサイト直島で行われたが、本格的な初個展としては震災を受けた後の2012年、ニューヨークのサンダラム・タゴール画廊だった。この会場に足を運んでくれたフランスのある評論家は、「これは平面の彫刻だ」と言った。日本文化に対するリスペクトを失わずに、日本の現実から目をそらさず、日本という境界を越える、ということを目標に掲げた画業だったが、滝から崖に至って、はからずも平面と立体の境界をも越えたのかもしれない、と思った。
制作は静寂の中行うが、息抜きにワーグナーのオペラ「パルジファル」を聴く。「パルジファル」は西洋的理性が東洋思想と出合ってスパークし、“叡智”に至ることで“救済”があるとするワーグナーの深い哲学の結晶だ。崖の作品が不思議とこの音楽に合うような気がしてならなかった。険しい崖の表情をつくり出し、そしてこんな所にも生命は存在する、と感じさせる樹木をそこに描き入れる。私が「パルジファル」に親近感を抱くのは、描こうとしている時間と空間を主人公パルジファルが生きていると感じるからかもしれない。
千住博 × 辻仁成 「日本画から学ぶ世界」
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Posted by 千住 博
千住 博
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画家。京都芸術大学教授。1958年、東京都生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院後期博士課程単位取得満期退学。1993年、拠点をニューヨークに移す。1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門名誉賞を受賞(東洋人初)。2007~2012年、京都造形芸術大学学長。2011年、軽井沢千住博美術館開館。2013年、大徳寺聚光院襖絵を完成。2016年、薬師寺「平成の至宝」に選出され、収蔵。平成28年度外務大臣表彰受賞。2017年、イサム・ノグチ賞受賞。日本画の制作以外にも、舞台美術から駅や空港のアートディレクションまで幅広く活躍。