PANORAMA STORIES
わが町、サンマルタン運河のパティスリー・ブランジェリー「Liberté(リベルテ)」 Posted on 2018/02/27 マント フミ子 修復家 パリ
今、フランスは「バゲット」を守ることに力を入れています。2018年に入り、マクロン仏大統領が「世界中で称賛されるフランスのバゲットをユネスコ世界遺産に。フランスが作り出したパンの素晴らしさ、作り方、技術を保存するためにそれは必要である」と表明しました。
朝食、昼食、夕食と、フランス人の食生活にパンは切っても切れない存在なのです。
私が暮らすパリ10区にあるパティスリー・ブランジェリー、 Liberté(リベルテ)をご紹介します。
ふらっと入った時から、一口バケットを頬張った瞬間から、ファンになった隠れた名店。リベルテ、「自由」という店名がなんともフランスらしい。
昨今、話題の店やレストランは ”BOBO” 地区と呼ばれるサンマルタン運河周辺に集中しています。BOBO(ボボ)とは、ブルジョワ・ボヘミアンの略語で、”若いが教養があって、本物志向。生活にも余裕がありアートや創造的なものに興味のある人たち” のことを指します。
皮肉に使われることもありますが、実はこのボボと呼ばれる人たちがフランス文化を引っ張っているのではないかと思うのです。
オーナーのミカエルはもともと画商を目指しイタリア・ミラノの大学へと進みました。しかし、ニューヨークで事業家に転身、2013年、パリに Liberté(リベルテ)をオープンさせます。
ミカエルのモットーは「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」という映画『山猫』(ヴィスコンティ監督)の名セリフだといいます。確かに、彼のパティスリーとパンにはフランスの伝統がしっかりと息づいていると同時に、昨今のライフスタイルに近づけた ”ア・ラ・モード”、味の流行が絶妙に加えられていて、懐かしいのに新しい、のです。
リベルテのパティスリーには、私たちがイメージするフレンチパティスリーの派手さは全くありません。和菓子を彷彿とさせる、アタックよりも口腔で静かに広がる味わいを重視した、シンプルなおいしさが特徴といえるでしょう。
ミカエルの知性が生み出した品のある味わいは最後の一口まで飽きさせない。お薦めのパティスリーは、でしゃばらない甘味と節度ある酸味の見事な融合、「レモンタルト」と「チーズケーキ」、そして冬季限定の「タルトタタン」でしょうか。
お菓子やパンにおいて ”美味しい” とは、誠にシンプルなこと。
タルトがしっかり焼かれていること、クリームにしつこい甘さが残らないこと、チーズケーキの土台に欠かせぬサクサク感、パンはカリッともちっと……。カモフラージュは必要ないのです。
美味しさの鍵は素材の味を引き出すことにあります。
リベルテオーナー、ミカエルは食の激戦区で「100年前からそこにあったような店でありたい」と力説します。パリのパティスリー、ブランジェリーにとって一番大切とされるのは地元密着であること。職人たちが街角で作ったものを、そこで暮らす人々に出来立てを食べてもらうことなです。正論ですね。
日本を離れて26年、食べることにうるさい私を静かに納得させたリベルテは、やはり同じ職人魂の持ち主だったのです。古い椅子やアンティークにこだわって生きてきた日本人の私の口にもぴったり!
もちろん、店の内装にもこだわっています。リベルテのある39 rue des Vinaigriersは19世紀後半から代々ブランジェリーだったそうです。工事時に発見した当時の天井画をそのまま残し、むき出しの壁に白い清潔感ある床タイルと存在感ある大理石カウンターが置かれたデザイン。
明るくモダンな印象の中にその場所の記憶をしっかり残すといった、文化をリスペクトするミカエルらしいセンスが店のあらゆる場所に反映されています。
モダンな雰囲気を醸しながらも人間味のある温かい店づくり、そして温かい味。働く人がいつも笑顔で出迎えてくれるわが町のパティスリー・ブランジェリー。カルチエに愛されたおなじみの店はいつも地元客で賑わっています。
ある日、来店当初からずっと気になっていたことを質問しました。すると、ミカエルは店のガラス一面に描かれた波の絵を指しながら「北斎が好きなんですよ」と言う返事。そして、「日本が大好きなんです。日本の文化や伝統が好きなんです。実は、今度、リベルテを東京に出します」と続けました。
「え?どこに?」
「いろいろなご縁があって、結局、吉祥寺に!」
3月末にオープンが決まっているというから驚きました。しかも彼が選んだのは銀座や渋谷ではなく、吉祥寺。
「フランスが誇るパティスリーとパンを、特別なものとしてではなく日本の住宅地でこそ広めたい。日本を歩き回って、ここだと直感したのが吉祥寺だった」
吉祥寺の雰囲気はパリ10区のそれと合致したのだそうです。
昔、学生の頃、吉祥寺の大学に通っていた私は興奮しました。そこ、私の精神を作った町なのよ!!
吉祥寺はミカエルにとって、まさに東京のボボ地区なのだとか。そこで、やはり100年前からあったような店を作りたいと意気込んでいました。ほとんどの材料をパリから輸入、パリの職人を派遣して、レシピ、技術、仕事の仕方までの全てが日本の職人に手渡されます。
異文化の継承とは、決して見せつけることではありません。理解し、理解され、文化は広まり、発達していく。
彼のアルチザン、職人気質を吉祥寺でも味わうことができるとは……。
オープンしたら真っ先にバゲットを齧ってみたいです。この人ならきっと、パリの味をそこで100%再現しているはずだから。
Posted by マント フミ子
マント フミ子
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修復家。岡山県出身。在仏30年。フランスに暮らしはじめ、アンティークの素晴らしさに気づく。元オークション会社勤務。現在はパリとパリ郊外の自宅にて家具やアンティーク品の修復をしている。