PANORAMA STORIES
ピアノ一期一会。コンサートはサプライズの連続 Posted on 2018/01/11 広瀬 悦子 ピアニスト パリ
音楽家の中でも、ピアニストは基本的に自分の楽器を持ち運べない分、旅行する時は比較的身軽です。
その代わり、コンサートの度に未知の楽器と対面し、短時間で楽器の特徴を隅々まで把握することが求められます。場合によっては自分のタッチや表現を、ピアノの方に合わせて変化させ、こちらの意図を最大限に伝達するコツを掴まなければなりません。
ピアノには、外見からは計り知れないそれぞれの個性があります。スタインウェイやヤマハ等、メーカーによる違いはもちろんのこと、作られた年代による違い、さらには最高級の楽器でも、会場の広さや音響との相性によっては、全く平凡になってしまうこともありますし、舞台上ではピアノの位置を数センチずらすだけでも、音色は驚くほど変化します。また新品のピアノは、ほぼ例外なく柔軟性に欠けて弾きづらいことが多いのも特徴です。
海外で演奏をする時など、日本では考えられないようなエピソードもいろいろあります。
ワルシャワでシンフォニア・ヴァルソヴィアと共演した時のこと、その演奏会には特別に私の大好きな、ファツィオリというイタリア製の楽器を運んでもらえるということで楽しみにしていました。ところがリハーサル前にピアノが到着したものの、一向に梱包が解かれる様子がありません。何かおかしいな、と訝り始めた頃、スタッフがやって来て、「申し訳ないのですが、運送業者がピアノの足とペダルを忘れてきました…」前代未聞のあり得ない話に思わず爆笑してしまったのですが、遠路はるばる運搬してきたため、取りに戻ることもできないと判明。まさか床にピアノ本体を置いて正座して弾くわけにもいかないので、結局現地にあったカワイのコンサートピアノを使うことで事なきを得たのでした。
また、イランでテヘラン交響楽団と共演した時のこと。女性の場合は外国人でも舞台上でも例外なく、肌や頭髪を隠す“ヘジャブ”の着用を求められます。異教徒でも受け入れてもらえる寛容さに敬服しながらも、耳まで覆わなくてはならないヘジャブで、聞こえにくくなる上に暑い(!) さらにテレビ撮影もあって、指揮者の映像上の理由で蓋が取り外され、ほとんど鳴らなくなってしまったピアノと格闘しながら、ラフマニノフの協奏曲を演奏したこともありました。
他にも、演奏中に低音の太い弦が切れて飛んで行ってしまい、カーブを描きながら音を立てて舞台下の床に落下したこと、ウィリアム・テル序曲を演奏中、クライマックスでペダルが壊れてしまって途中で止まる訳にもいかず、あの激しい曲を最後までノーペダルで演奏したこと等、ハプニングを書き出せばキリがありません。
時にはそのまま荷物をまとめて帰りたくなるほど、状態の悪い楽器に遭遇することもあります。
それでも、往年の名ピアニスト、リヒテルが残した「悪いピアノはない。下手なピアニストがいるだけだ」という名言を思い出し、本番までの残された時間、若干パニックに陥りながらも弾き込むうちに、だんだんピアノが鳴り出し、呼応し始めるのです。
どんな状況にも動じない鋼のような精神力が鍛えられますが、その一方で、やはり極上の楽器に巡り会った時の喜びは、何物にも代え難いものがあります。ピアノの方から霊感に満ちたニュアンスを与えてくれ、イメージがどんどん膨らみ、思ってもみなかった効果を引き出してくれる……。
まさに魔法にかけられたような至福の境地で、そのままいつまでも弾き続けていたい衝動に駆られます。
そんなわけで、今日はどんなピアノと出会えるのだろうと、いつも期待に胸を弾ませながらコンサート会場に向かうのです。
Posted by 広瀬 悦子
広瀬 悦子
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ピアニスト
ヴィオッティ国際コンクールとミュンヘン国際コンクールに入賞後、1999年マルタ・アルゲリッチ国際コンクールで優勝。1996年パリ・エコール・ノルマル音楽院、1999年パリ国立高等音楽院を審査員全員一致の首席で卒業し、併せてダニエル・マーニュ賞を受賞。世界各国でリサイタルや音楽祭に参加。2001年デュトワ指揮NHK 交響楽団との共演をはじめ、バイエルン放送響、オルフェウス室内管ほか国内外のオーケストラと数多く共演。2007年4月、ワシントンD.C. のケネディセンターでリサイタル・デビュー。日本コロムビアやMIRAREからCDがリリースされている。