PANORAMA STORIES
お国が違えば教科書も違う? 日独教科書くらべ。 Posted on 2017/12/11 ヴォルター・神山 優子 ライター・大学講師 ドイツ・ハンブルグ
小3の娘が通うハンブルグ市内の小学校ではドイツ語の授業は毎日、英語は週2日行われている。6年生になるとフランス語かスペイン語、またはラテン語から言語を選択し、第三外国語を学ぶことになる。
ドイツで義務教育を受ける子どもがドイツ語の他に英語、第三外国語を学ぶことは今や当たり前。現在、娘は週末に日本語授業補習校に通っているので、日本語を含めた3つの言語を四苦八苦しながら学んでいる。宿題に追われる娘を前に机の上に並んだ教材を見て私が興味深く感じたのは日本とドイツの教科書の違い。
文部科学省が子どもたちに無償で供給している日本の国語教科書は昔話から現代文、詩や古典など様々なジャンルの作品で構成されてあり、各単元の間に文字や言葉のきまり、文法事項が学べる。中には動物愛、家族愛など道徳的要素が含まれる物語も多く、戦争の話や日本独特の食文化、郷土愛が色濃く書かれた説明文もある。愛すべき我が国の言語を、日本を通して学習しようという意図が根底にあるのが分かる。
一方、娘が使っているドイツ語の教材は教科書と呼ぶよりもワークブックといった記述式のものばかり。表記や正しい綴りのための練習帳、短い物語の視写と問題に答える読解ドリル、小学生用ドイツ語辞典のみ。ちなみに読解ドリルにある短い物語は森に住む動物やトロル、小さな女の子の日常を綴った内容のもの。上の息子が以前通っていた小学校は一人ひとりが自分のペースで学習する個別学習型授業だったので、そこでもドイツ語の教科書は使用していなかった。
ドイツはハンブルグ、ベルリン、バイエルンなど16の各連邦州によって教育機関が分けられている。初等教育を4年とする州もあれば、6年生まで続く州もある。公立小学校でも一斉授業を行うところや自主学習スタイルをとっているところなど授業の形は各校異なり、教材選びも自由で、検定•採択された教科書が国から供給されるのではなく先生たちが選択をする。
考えてみれば“ドイツ語”は国語としてくくられるのではなく、あくまでもドイツ語。
ドイツは移民の背景を持つ人が総人口の20%を超えると言われる多民族国家。国籍や宗教、政治的背景が全く異なる人々がドイツ語を「公用語」としている。実際に息子のクラスの半分の片親は外国人で、国籍や宗教、家庭内で使っている言語も様々。中にはドイツ語を母国語としない子もいる。
そういった子どもたちが、ドイツ語の授業でドイツの戦争や食文化、郷土愛について書かれたものを読みながら学んでいくというのは、肌合いが異なるような感じがするだろう。
ドイツで初等教育をうけた独英ハーフの旦那にそのへんの話を聞くと、「ドイツ語は難しいから小学校では物語や説明文を読むより、綴りや人称変化、格など文法をしっかり学ぶことが重要。単にそれだけ」と、意表を突いた答えが返ってきた。
教科書に書かれた物語や説明文の内容がどうということではなく、文法中心の授業だから日本のような教科書は使ってないというわけだ。確かに、クラスみんなで物語を音読してから主人公や作者の心情をとらえ、お互いの意見を発表するような授業をドイツでは見たことがない。
教師による教材選びや様々な授業のスタイル、多様性を許容できる自由な教育がドイツにはある。親として、また、ドイツで教壇に立つ教師のひとりとして、ここでの教育は大いなる可能性を秘めているのだと気づかされた。
Posted by ヴォルター・神山 優子
ヴォルター・神山 優子
▷記事一覧ライター、大学講師。
2008年に渡独。元小学校教諭、2児の母。
仕事は主に4K(家事、子育て、講師、書きもの)。ドイツの教育をテーマに日本の雑誌や地方新聞に執筆。