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書道家 MAAYA WAKASUGI、書への道 Posted on 2017/10/19 辻 仁成 作家 パリ

 
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の題字を手がけた新進気鋭の書道家、MAAYA。パリ、ドバイ、ラバト、ベルン、ニューヨークなど世界各地で精力的に活動する書道界の超新星に迫った。
ザ・インタビュー、MAAYA WAKASUGIの書の道!
 

書道家 MAAYA WAKASUGI、書への道

©︎Takeshi Miyamoto

 
 本当に多岐にわたるご活躍で… 僕がMAAYAによく会っていたのは10年くらい前ですかね? 広尾のレストランでした。

MAAYA WAKASUGIさん(以下、MAAYA敬称略) はい、そうですね。広尾の鹿児島料理店で店長をやっていました。2007年くらいでしたね。

 その頃すでに書道はされていたんですか?

MAAYA 書はずっと副業でしていまして、あの頃も個展をしたり、お店のお品書きであったり、内装のデコレーションなんかもしていました。

 当時、個展はどのくらいの頻度でされていたんですか?

MAAYA 約1年に一度くらいのペースですね。あの頃は自分は書道家になるとか、芸術家になるとか、そういう意識が無かったのです。副業としてお小遣いを稼げていたんですけれど、飲食の仕事がメインでしたので。

 書との出会いは?

MAAYA 書は6歳の時から始めて、高校の時に都立の高校に通っていたのですけど、その時の非常勤の先生が世界的に評価されている書道家の先生だったんです。赤塚暁月という女性の先生だったんですけれど、その先生に高校3年間ついた後に、「若杉君は男の子だから、男の先生について伝統的な世界で学ぶのもいいんじゃない?」というアドバイスを頂いて、大東文化大学という、書の世界では日本の巨匠といわれる人たちが教師陣にいらっしゃる大学へ進みました。そこで日展の作家について、学ばせていただきました。基本的に自由なことは出来ない閉鎖的な世界でした。その反動とういうか、僕は当時ドラァグクイーンをしていました。師匠には内緒でした(汗)。

 ちょっと、ドラァグクイーンのお話を聞いてもいいですか? 僕はドラァグクイーンというのがよくわからないんですが、あの人たちは基本的にみなさんゲイの方たちなのですか? ストレートの方もいらっしゃるのかな?

MAAYA 基本的にはゲイですね。ストレートの方もいらっしゃるようですが、もともとドラァグクイーンというのは「ドラァグ(drag)」、引きずるということなんです。男と女の性の境を引きずるとか、派手にドレスを引きずるとか、そういう意味があるんですね。僕は女装のことを時に武装と呼んだりしているんですけれど、演じるというか、お祭りというか、人を楽しませるという要素も強いです。

 なぜ、今それを聞いたのかというと、MAAYAの書はジェンダーを超えるというか、ジェンダーのせめぎ合いの中から生まれてきているというところがありますね。ふと、「そこ」が原点にあるのかなって思ったんです。

MAAYA もう、全く、本当におっしゃる通りです。やっぱり辻さんの鋭い指摘にはびっくりですね。そういった切り口で言われることが今まで少なかったので……。高校生の時、赤塚先生は、お手本通りに書く臨書という、中国や日本の名跡の書を写す勉強と並行して、特別に「若杉君、好きな文字を一枚書いてきていいよ」と仰ってくれたんです。それを毎週水曜日にお稽古場に持っていくんですが、その時に、僕はいつも好きな男の子の名前を書いて行っていました。当時は今のようにネット環境もなければ、カミングアウトをできる環境でもないし、でも、好きになった男の子にどうにかこの気持ちを伝えたい。だけど、「ゲイです」なんて言ったら教室がひっくり返っちゃうような時代ですから、伝えたいけど伝えられないじゃないですか。その思いをどう消化していくか、どう表現して行くのが良いか悩んでいました。その時期に、女性誌に載っていたマドンナのインタビューに「ゲイは恥じることじゃない。自分を表現することが大事」というような言葉があったんです。それで、自分は何で、何を表現できるかといつも自問自答した時に、墨と紙と硯と筆がありました。その頃、書道展で入賞したりして少し自信もついた時代でしたので、何かアクションを起こしたい、何か形に残したいと思い、17歳で初めて個展をしました。その時に書いたのが、好きな子の名前や「虹」の古代文字でした。「奇跡を起こしたい」という気持ちの表れだったと思います。今思い起こせば…。

 虹の古代文字ですか。

MAAYA はい。アーチ型で、何かを飛び越えていくイメージ。古代の人は虹を見て「龍が出た」と言ったという言い伝えもあります。僕は、もっと自由に世界を飛んで行きたいな、とか、虹の橋を越えていきたい、というのがずっと根底にあったんです。それがまさしく、僕の根源ですよね。きっと。

 自分を解き放つために書をすることがプラスになったというか。それが自分を開いていくための大きな場所、入口になったんですね。

MAAYA もう、辻さんのお話がドンピシャで、今、鳥肌が立っています(笑)。

 今年はNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の題字を手がけられたと聞きました。そういえば、僕も映画の題字を頼んだことあるんですよね。

MAAYA そうなんです。誰よりも先に僕に光を当ててくださった、題字のオファーを下さったのは辻さんなんですよ。”チャンス” をくださったのが辻さんです!!

 映画「醒めながら見る夢」ね。3、4年前かな。あの時もスタッフみんなで書を見た瞬間、「うわー」って言ってました。

MAAYA 本当に嬉しかったです。直接お電話いただいて、MAAYAに題字を書いて貰いたいんだけど、「読める字で、誰にも書けない字で」みたいなことを仰っていましたよね。辻さんハードル高いわ〜って思いました(笑)。 
 

書道家 MAAYA WAKASUGI、書への道

©︎ 2014「醒めながら見る夢」製作委員会

 
 NHK大河ドラマの題字はどういうきっかけだったんですか?

MAAYA 「直虎」のオープニングなどを担当されているアートディレクターの古屋 遥さんがプロデューサーの方にご推薦頂いて、まず面談をしましょうと言われました。NHKはとても審査が厳しいので、でも僕にとっては夢の仕事でしたから、どうやってこのチャンスを勝ち取ろうか、と思って、プロデューサーの方に「一枚だけ作品を持っていってもいいですか?」とお伺いしたんですね。それで了承を得まして、その話を頂いてからちょうど1ヶ月後が面談でしたので、その1ヶ月間に千枚、書きました。

 へぇ! それで、一枚だけ持っていったんですね。それは何を書いたんですか?

MAAYA もうタイトルが1年前には発表されていましたので、「おんな城主 直虎」と。フランスにいて直虎さんのことを知るのには苦労しまして。もともと残っている文献の少ない方だから図書館に行って調べるわけにもいかないし。徳川時代ですが、たまたま僕のボルドーのアトリエに徳川家康が書いた書の本があったので、その時代を掘り下げてみたり、どんな人物だったのかなっていうのを想いながら。顔写真もないから「どんな女性だったのだろう?」と問いながら「直虎」という字を毎日書いていました。それで、日本に渡航する日の朝に、これだ!! という作品が書けました。なぜそう思ったのかというと、その作品を書いた時、字の中に直虎さんの顔が浮き上がってきたんです。それで、この作品を持参しよう、と決心しました。

 なるほど。

MAAYA それを持ってプロデューサーの方と面談をした時に、どちらからお話ししましょうかと言われて、先に自分からプレゼンテーションをさせて頂きました。そうしたら、そのプロデューサーの方が「今日私が話そうと思っていたことを全部話してくださいました」と仰って下さったんです。それで、採用されるという運びになりました。

 運と実力と努力だね。千枚も書いて。たぶん、すでに何人かは当てがあったはずですからね。書道家の人たちはみんな大河ドラマの題字を目指しているだろうし。

MAAYA はい、やっぱり天下の大河ですから。私もこういったマイノリティーと言われる世界にいる中でも親はずっと書道を応援してくれていて、その話を電話で父に報告した時に父が泣いて喜んでくれて、本当に嬉しかったです。
 

書道家 MAAYA WAKASUGI、書への道

© NHK「おんな城主 直虎」

 
 車に字を書いたというのも聞きましたが。

MAAYA それはゼニスさんというスイスの時計ブランドと、イギリスのRANGE ROVERさんのコラボレーションモデルができまして、世界各国5人のアーティストが選ばれて車にペイントするという企画に選んでいただきました。最近は紙だけでなく、キャンバスにも、車にも、いろんなものに作品を書かせていただいています。

 幅広いですね。でも、世界で活躍する日本人って一回そうやって転がりだすと早いんですかね。

MAAYA そうだといいなって思いながら、白鳥じゃないですけど、水面下で必死に漕いでますけど(笑)。でも、覚悟を決めてからは追い風が強く吹いてくるような気は致します。

 今、フランスのボルドーにアトリエがあって、いろんなアーティストとシェアをしているそうですが、ボルドーは環境的にはどうですか?

MAAYA フランスに渡るならパリに住むのが憧れだったんですけれど、誘惑が多いから一度田舎町で苦労しろというアドバイスをもらってボルドーに住み始めました。ですが、半年間はさすがに辛かったです。当初は友達もいなかったのですし……。

 なぜ、ボルドーだったんですか? パリから車だったら7、8時間かかるじゃないですか。

MAAYA 今年、TGVで2時間になったんですけれど、それでも南西にあるので確かに遠いですね。ボルドーには日本に30年近く住んだフランス人作家のコリーヌ・ブレさんが住んでらっしゃるんです。大学生の時にルーヴル美術館公認のNPOグラン・ルーヴル・オ・ジャポンのロゴを書かせてもらってその時のご縁があって、一度音信不通にはなったんですけれど、僕がフランスに住むと覚悟を決めた頃に彼女が人づてに「MAAYAに会いたい」って連絡を下さったんです。まるで虫の知らせのように。それで、僕はパリに住もうと思っていますと伝えたら、「パリはやめた方がいい」というアドバイスを同じように頂きました。同じく親友にもパリはやめた方がいいと言われて……。じゃあ、ボルドー行ってみるかって。外国人だし、すぐには家を借りれないからコリーヌさんの友人が部屋を用意して下さり、しかしそこがボルドーの市内ではなく郊外だったんですね。Wi-Fiが3ヶ月間なくて、お友達もいなくて、しかもそのエリアは英語が全然通じなかった。

 一体何をしてたんですか、その3ヶ月間!?

MAAYA もう、毎日「闇」という字を書いていました。

 闇?(笑) それはいつの話ですか?

MAAYA 3年前ですね。こんなお調子者で恵まれた環境で生かされてきましたから、今まで自分の闇ときちんと向き合ったことなんてなかったですよね。

 1ヶ月くらいで日本に帰ろうとは思わなかったんですか?

MAAYA いや、僕もさすがに「フランスに行く!」と啖呵切って出てきちゃったもんでしたから、帰るに帰れなくなっちゃって。それで、毎日「闇」という字を書いていた時に、やはり「光」を見出さなきゃいけないと思ったんですよね。「明」という字の古代文字って、お「日」さまとお「月」さまから出来ていますよね。お日さまはもともと窓の古代文字からきていて、窓から見える月の光が明るいから明るいという字ができたんです。ボルドーの街中を歩いていて、その風景から明るいというメッセージを受け取ったり、半年過ぎた頃からはようやくお友達も出来てきました。片言のフランス語でも、あなたは何やってるの? と聞かれて「書道家です」と答えると、みんなすごく興味を持って下さる。フランス人って伝統的な物事をすごくリスペクトしてくれるんですよね。僕が駆け出しのアーティストで食べていくのも厳しい状態だったことを知っていた大家さんは、クリスマス前に「クリスマスのギフトを探している友人たちにプレゼンテーションをしたいから、家にある作品全部持ってきて」と言われて、大家さんのマダム友達全員集合みたいな(笑)。「さあ、MAAYAの作品はどうかしら??」て。強制的に(笑)。その頃は小さい作品が多かったんですけれど、ブルジョワ階級のマダムたちは「私のために大きい作品を書き下ろして欲しい」と言って下さって。お陰様でその冬は食い繋いでいけました。

 その闇の6ヶ月があって、そこから何が動き始めるんですか?

MAAYA 今もまだまだ下積みの下積みなんですけれど、少しずつ試されるというか、パリでも展示できるチャンスを頂けるようになったり。ボルドーでのカルチャーセンターでの講師の契約のお話なんかは友人が通訳してくれたり、窓口になってくれる知人がいたり、皆様のお陰様のサポートでここまで辿り着くことが出来ました。先日もフランスの国鉄のSNCFさんとお仕事させて頂いたり、フランスをはじめ、在ドバイ日本国総領事館や在モロッコ日本国大使館でもデモンストレーションをさせて頂けるようになりました。
 


 

Parenthèse Bordeaux Saint Jean
© 2017 – GRAND ANGLE PRODUCTIONS – SNCF RÉSEAU

 

 これから先のビジョン、MAAYAの描く未来はどのようなものでしょうか?

MAAYA 僕、誤解を恐れずに言いますが、将来、宇宙人が買い付けに来ても大丈夫な書道家になりたいんです。字って、たとえば西洋人は漢字読めないじゃないですか、それでも何かを感じ取れるというエネルギーがあると思うんですよね。もちろん、作品の解説をしたりもしますけれど、人種とか年齢とかセクシャリティー、人間の枠を超えて宇宙人にも伝わる作品を書きたい。最近「メッセージ」という映画を見たんですけれど、宇宙人がコミュニケーションをとる際に、宇宙人は喋れないからイカ墨のようなものを吐き出すんですよ。それが、まるでお坊さんが書く円相のようなものだったんですね。それを一緒に見ていたフランス人の彼氏が「君の書いてる字に似てるね」と言いました。その時に、僕は宇宙人にも理解できるような作品を書かなくちゃいけないなって思ったんです!!

 つまりそれは、ありとあらゆる文化も宗教も人種も、全てを超えて、世界中の人たちが見て一瞬で理解できるものを生み出さなきゃならない。ということですね。

MAAYA はい。辻さんっ、通訳をありがとうございます!!(笑)

 言語を超えるということを、言語を通してやろうとしている。素晴らしいですね。もともと漢字というのは象形文字ですから、山という漢字は山の形から始まっているんで、イマジネーションなんですよね。そこから言葉が複雑にできていく。その組み合わせが「言語」というものの深い哲学を生んでいますね。MAAYAはどうして書を始めたのですか?

MAAYA 幼稚園の時に親からエレクトーンを強制的に習わされて、それがすごく嫌だったんです。それで卒園の時、母に「今日でエレクトーンは終わりました。僕はこれからはお習字を習います」と宣言したようです。なぜかというと、近所に書道教室があって、毎週水曜日に生徒が書いたものがセロハンテープで貼られていたんです。そこを通るたびに「花まる」がついてる半紙を眺めていて、「僕も ”花まる” が欲しい」と思った。それが単純なきっかけです。それは神様が下さったチャンスだと思っているんですけれど、それを高校生の多感な時に赤塚先生が導いて、更に磨いてくださったと思います。

 なるほど。それは、つまり宇宙人が吐き出した「円」じゃないですか。そこに繋がっていく。MAAYAを見ていると、人の「縁」をうまく操っている気がする。疎遠になったとしてもまた再会する。「別れて、また会う」というサイクルを繰り返してその「えん(円)」が大きくなっている感じがする。ご「えん(縁)」をとても大事にされているなというのを感じました。生きているといろんなことが起こるじゃないですか、嫌なことも嬉しいこともいろいろ降りかかってくる。でも気づかぬうちに自分が進むべき道に進んで行ってらっしゃるんじゃないかなと思うんです。その瞬間には意味がわからなくても、後になってその意味がわかってくる。これからMAAYAにもいろんなことが降りかかってくると思います。有名になればなるほど、必ずやきもちを妬かれたりもする。そんな時に、確信はなかったとしてもMAAYAが持つ嗅覚で察する方へ進んで行けば、たぶん「そこ」へたどり着くと思う。それは、ご縁の力なのかなと思う。もちろん、最初に会った瞬間にはなかなかわからないものですし、全部が全部良い縁ではないですけど、悪い縁というのは円にはならずに直線で消えていきますから。生きて行くって、四角四面にきれいには切り取れない。だから、円があるんだよね。今日、MAAYAと久しぶりに会って、腑に落ちるというか、そんなことを改めて感じました。

MAAYA ありがとうございます。光栄です。
 

書道家 MAAYA WAKASUGI、書への道

MAAYA氏が手にしている扇は、広島に送られた祈り鶴の再生紙を利用してデザインされた 「FANO」さんのもの。
 
 

書道家 MAAYA WAKASUGI、書への道

2016年の作品展から立ち上げた「ARIGATOプロジェクト」。日本を代表する美術印刷の巨匠、摺師・松井勝美氏とのコラボレーション作品。
 
 
《プロフィール》
Maaya Wakasugi  書道家・アーティスト フランス・ボルドー在住。
1977年 岡山県生まれ。6歳より書道を始め、17歳で個展開催。書の名門・大東文化大学を卒業。“古代文字” をモチーフとした独自の作品スタイルを確立。近年は、書をアートとしてとらえ、ルーヴル美術館公認の関連ロゴマークの制作や、ニューヨーク近代美術館MoMAでパフォーマンスをするなど、様々な場所で表現を展開。2017年NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』のタイトル揮毫を手がける。
 
 

posted by 辻 仁成