PANORAMA STORIES
カッシーニ − 近世から受け継がれた宇宙への思い Posted on 2017/10/31 荒川 はるか イタリア語通訳・日本語教師 イタリア・ボローニャ
9月15日、20年間にわたる任務を終えた土星探査機「カッシーニ」が土星に突入して燃え尽きた、というニュースを目にした。探査機はほぼ全てイタリアで製造されたそうで、「カッシーニ」が撮影した美しい土星の写真とともにその功績が伝えられた。
それまでこの探査機の存在すらよく知らずにいた私は、なんとなくニュースを追いながら、聞き覚えのある名前にボローニャの町の真ん中にあるサンペトロニオ聖堂を思い出していた。
この町を訪れた人なら誰でも足を運ぶ、マジョーレ広場にあるサンペトロニオ聖堂。
その天井に施された穴と床に南北に伸びる線、これが天文学者ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニの作品なのだ。
1655年に作られたこの日時計は、穴から差し込んだ光が線の上を射すと正午を表し、その位置によって暦がわかるようになっている。
天文学繋がりでもしかして、と思ったがやはりそうだった。
20世紀末に打ち上げられた宇宙探索機には、この17世紀の天文学者の名前が付けられていたのだ。
カッシーニは土星とその輪の研究の第一人者であったため、土星探索機にこの名が捧げられたそう。あの見慣れた日時計が、こんなところで現代に繋がっているとは。
実はこの日時計、未完成のまま完成となった一風変わったサンペトロニオ聖堂を象徴する存在でもある。
というのも、この聖堂はローマカトリック教会の意思によってではなく、コムーネ(自治都市)のアイデンティティシンボルを求めたボローニャ市民の意思で建設されたのだ。
もちろんその費用は市の財源で賄われ、それゆえ色々な意味で型破りな教会でもある。
通常教会は祭壇が東に来るように設計されるが、ファザードを広場に面して建てるためその原則は無視。そして大学都市ボローニャらしく大学での研究が教会内に持ち込まれた。そう、ボローニャ大学の天文学教授だったカッシーニがここで腕を振るったのだった。
穴からの光が大理石にはめ込まれた線の上を1年かけて往復する一見シンプルな構造だが、当時としては莫大な資金を費やして子午線の60万分の1の長さの精密な日時計を実現した。というのも、これはただ時間や暦を知るためだけの道具ではなく、なんと彼はこの装置を使って天動説・地動説論争の解明を目指していたらしいのだ。
ガリレオが宗教裁判で有罪判決を受けて間もない時代のことだから、そこには宇宙の真実を見出そうとするただならぬ使命感があったに違いない。
そんな科学者の果敢な挑戦とそれを支える市民のロマンを思う時、この町に住んでいることが心から誇らしく感じられる。聖堂建設は資金不足で大幅な設計変更を余儀なくされたにもかかわらず、大学都市のアイデンティティを貫きこの日時計を完成させたのだ。
だからこそ今でもボローニャの人々は「我々の聖堂」と言う誇りと愛着を持ち続けている。
天に広がる遥かなる世界に魅せられ、地上からの観測で多くの偉業を成し遂げたドメニコ・カッシーニ。彼の信念は後世に受け継がれた。まさか300年の時を経て、自分の名を継いだ探索機が宇宙に送られるとは想像していただろうか。
現代の「カッシーニ」が人類にもたらしてくれた艶やかな土星の写真を見たら度肝を抜かれることだろう。感極まって、自分も宇宙へ旅立つと言い出すに違いない。
そんなことを思いながら見た「カッシーニ」最期のニュース。
これから燃え尽きようとする土星探索機に今更ながら親しみがこみ上げてきて、テレビに映る「カッシーニ」に向かって「お疲れ様」とつぶやいていた。
Posted by 荒川 はるか
荒川 はるか
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イタリア語通訳・日本語教師。東京生まれ。大学卒業後、イタリア、ボローニャに渡る。2000年よりイタリアで欧州車輸出会社、スポーツエージェンシー、二輪部品製造会社に通訳として勤める。その後、それまでの経験を生かしフリーランスで日伊企業間の会議通訳、自治体交流、文化事業など、幅広い分野の通訳に従事する。2015年には板橋区とボローニャの友好都市協定10周年の文化・産業交流の通訳を務める。2010年にはボローニャ大学外国語学部を卒業。同年より同学部にて日本語教師も務めている。