JINSEI STORIES

滞仏日記「ついにジレ・ジョーヌがやって来た」 Posted on 2019/01/06 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、ついにジレ・ジョーヌが我がカルチエ(地区)にもやってきた。昼食後、昼寝をしていたら、不意に若者たちの怒声に起こされた。静かな地区なので、まさか、と思って飛び起きたら、息子が走って来て、パパ、ジレ・ジョーヌだ、と叫んだ。二人で窓際まで走り、眼下を覗き込むと、いるいる、うじゃうじゃいるじゃないか!マクロン辞めろ、とシュプレヒコールを叫びながら通りを埋め尽くしている。ジレ・ジョーヌ運動がはじまった二か月前から近くのスーパーはまるで要塞のようにベニヤ板で覆われている。「もう下火だから大丈夫だよ」と店員に告げたが、「本部から、いつ再燃するかわからないから、このままにしておけと指示があって」と苦笑していた。彼らは正解であった。友人のワイン屋のおやじも「見ろ、ずっと半分シャッターを閉めてる、高価な日本のウイスキーとかは出せない。やつらは高い酒を狙ってやがる」と迷惑そうにこぼしていたが、ついに、その日がやって来た。群衆はやはり黄色いベストを着て、ほとんどは大人しそうに見えたが、よく見ると、カッサーと呼ばれる壊し屋たちが紛れ込んでいる。ベストを着ていない目出し帽をかぶった黒服の若者たちだ。初めて間近で見たが、車を壊したりしているのは明らかにカッサーだった。でも、大半のジレ・ジョーヌたちも見て見ぬふりというのか、時々、逆に加勢したりしている。報道されている事実よりも生々しい現場がそこにはあった。
 


 

たまたま僕は愛車を車庫にいれず、すぐ出せるよう裏の通りに停めていた。「パパ、ステファニーは大丈夫かな?」と息子が言った。愛車のニックネームである。息子が生まれる前の年に買ったので16年の付き合いになる。その時、黒い服の連中が停めてある真新しいルノーを破壊しはじめた。まず、バックミラーを足で蹴ってぶっとばし、その後、車の上に飛び乗ってジャンプをした。正面の建物から顔を出していた少女に向かって、こともあろうに中年の女性が何か瓶のようなものを投げつけた。これは完全にやっちゃいけないことである。思わず僕は、子供に手を出すな、と叫んでいた。一人一人は普通の市民である。集団心理の恐ろしさを目の当たりにした。政府への怒りは分かるが他の市民にその矛先を向けてはならない。投げつけられた瓶は壁に当たって大事に至らなかったが、このようなことで亡くなられた不幸なご婦人もいる。

過激な連中はデモ隊の後方に陣取っており、移動しながら次々に街を破壊していった。鉄パイプとか工事現場の金網とかゴミ箱などをかき集めて道を塞いで最後に火を放った。巻き込まれて動けないでいる車が数台あり、中にいる人たちのことが心配になった。勇気ある運転手がデモ隊と口論していた。火が激しく燃え上がると、治安部隊の警笛が鳴り響いた。見ると、通りの奥から何台もの機動隊車両が迫ってくる。何か戦争映画でも見ているような、或いは、ここはパレスチナとかシリアとか、そういう場所にいるのか、と錯覚してしまうような、緊張感が走り抜けた。息子に「気を付けろ、窓から顔を出しちゃだめだ」と叫んだ。「でも、パパなんか身を乗り出して撮影してるじゃないか」「大丈夫だ、パパはプロだからな」「僕だって友達に写真を送りたいんだよ」同じような野次馬たちが通りを挟んだビルのあちこちから携帯で撮影していた。機動隊の装甲車がバリケードを突破し、ジレ・ジョーヌを追い払った。フル装備の警官隊数十人が駆け足で彼らを追いかけていった。やれやれ。しかし、すでにこの暴動がはじまって8週目に突入している。デモは鎮静化していると今朝もニュースでやっていたばかりだったが、このようなことが自宅の前でも起きてしまった。何が引き金で再燃するかわからない、燻った状態、という方が正しいような気がする。今日はパリ左岸でジレ・ジョーヌたちが大暴れをした。一部集団がパリの政府庁舎に押し入り、グリボー政府報道官らが一時避難する騒ぎとなった。デモ隊に遭遇したら、近づかないことだ。そもそも彼らの行く先々には警察隊がいるので、大勢の警官を目撃したら、そっちへは近寄らないに限る。とりあえず、ステファニーの様子を見に行かなきゃならない。ああ、ステファニー、無事であってくれ。


 

追記

深夜、こっそりと愛車の様子を見に行ったが、ステファニーは無傷であった。けれども警察の機動隊車両が物凄い隊列を作って移動していた。なんとなく、長引きそうな予感がする。