JINSEI STORIES
滞仏日記「学ぶということは盗みに行く行為だと思え」 Posted on 2019/04/14 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、新潟から戻るとその足で芸人を目指す子たちが集う「タイタンの学校」での講師を務めるために新宿へ。太田光代さんがはじめた「タイタンの学校」の今年度第一回目の授業ということで気合が籠る。今年、僕は一年間「辻演劇ゼミ」を持つことになった。舞台「醒めながら見る夢」「海峡の光」「99才まで生きた赤ん坊」など辻演劇の助手を手伝ってくれた若手演出家3人を季節ごとに招き、一年を通してそれぞれに相応しいテーマを持ってもらい、そこに僕も絡んでの合同講義をやる。若手の演出家は、松森望宏、木村孔三、元吉庸泰という日本演劇界のホープたち。元吉君は超話題の劇団「エムキチビート」の主宰、木村君は演劇制作などのプロで、松森君は英国での受賞経験もある。1992年に出版した自らの戯曲「フラジャイル」を共通素材として、演技、演出、戯曲、舞台製作など各面の本質に迫る、それぞれ短期集中形式の授業を行い、生徒たちに今日における演劇の方法を教えるというかなり贅沢な企画でもある。
第一回目なので、まず一年間の授業の方向性について説明をやった。そして、いきなり生徒たちに芝居をさせてしまった。まず、クラスを演出・制作チームと演技チームとに分けた。ちょうど希望者が半々となったので、席替えをし、向かって右側に演技部、左手に演出部制作部を配置した。戯曲の冒頭20ページほどを、まず自分がお手本として、多少芝居をつけながら朗読してみせた。その後希望する生徒たちに本読みをやらせた。最初は硬かったが、所々で止めて、こんな風に感情を込めたらよくなるよ、とアドバイスを繰り返した。演出側には、どのタイミングでどのような演出を試みるのがいいのかなども指導していった。演者一人一人の個性を即座に把握し、指摘し、いいところは褒めて、よくないところは丁寧になぜそのやり方がよくないのかを教えていく。しかし、最後の方になると、実に聞きごたえのある迫力のある本読みとなった。終わると全員が拍手をした。この最初の本読みの中から数名をまず選んだ。次に彼らに演出を付けてみたい人たちも募った。やりたいと挙手した子たちに迷わずやらせることが僕の方法でもある。手を上げなければ損をする。そういうことも勉強なのだ。こういう参加型の授業の場合、なんでもいいから持ち場を持つべきであろう。黙っていて得られるものは小さい。僕は彼らに課題を与えた。次回の僕の授業までに、制作チームによって机の配置などを変えて簡易的なセットを作らせる。次の授業までに演出家として立った者たちが演出を付け、役者として選ばれたものたちがそこで芝居をやる。きっと僕を驚かすレベルの作品に仕上がることだろう。他の3人の若い先生たちは僕の戯曲をもとに、さらに実践の技術を生徒たちに教えてくことになるはずだ。演出家にもそれぞれ個性があるが、間違いなく旬の演出家たちなので、とっても個性的な授業が展開されることになるだろう。その独特の演出法を学べる生徒たちは実にラッキーだと思う。
誰かやってみるか、と言った瞬間に「はい」と手を挙げる生徒が数人いた。この子たちが演技をやったが、授業の終わりに彼らが掴んだものはそうとう大きかったのじゃないか。彼らの目は輝いていた。チャンスを自分から掴みに行く人は本気だと思うし、必ず成長する人である。何かを学ぶ時のもっとも正しい姿勢だろう。学ぶということは待っていても何も産まない。学ぶということは盗みに行く行為だからだ。
授業が終わるとその足で空港へ向かい福岡へと飛んだ。夜、中州で若い友人たちと中州の割烹川田のお座敷を温めた。この人たちは熊本震災の後に僕が訪れた益城町あたりで知り合った人たちのさらに紹介で出会った若い経営者たちであった。気が合ってずっとお付き合いをしている。会社を経営していて最近上場した。お祝いを兼ねた席でもあった。僕よりも20才も30才も若い人たちだが、生き甲斐を持って会社を大きくさせてきた。若い人ばかりの会社で、僕はそこのトップに「心の顧問」と呼ばれている。特に何をするわけじゃないが、たまに飲む。「どうやったら、辻さんみたいな人生を生きられるんですか」「辻さんは何をやって食ってるんですか?」「辻さんみたいな60才になりたいんですけど・・・」というような面白い質問が飛び交う。好奇心のある問いかけが繰り返された。確かに僕のような何を生業にしているのかわからず、自由に創作活動をして生きる人間の存在理由が知りたいのはわからないでもないが、なろうと思って目指したことは一度もない。タイタンの学校の芸人を目指す生徒たちも、この熊本の起業家たちも、僕の話に耳を傾け続けた。「あのね、僕の職業は辻仁成なんだよ。世界で一つの職業だからね」と言ったら全員が弾けるような笑顔で笑っていた。